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赤毛の姫君 ~ その壱 神速の剣士

あらすじ


影の剣士は死ぬ間際、最後の力を振り絞り、リンド姫の従者、実妹のシエルにアルフレッドの企みを伝えた。
アルフレッドに所在がばれてしまったリンド姫一行は、すぐさま街から脱出しようとする。


修正後の原稿がどこにいったのか分からなくなった(汗)
今締め切りに間に合わせないといけない分が書き終わったら修正したい

その壱
 
 真冬の夜中とはいえ活気のあるこの繁華街を、一人の若い剣士がふらふらと歩いていた。
 それなりに大きな街だからか、辺りは店や街灯の明かりに照らされ、昼間の様とまではいかないが町全体が輝いているようであった。
「おにいさぁん。ちょっと寄って行かないかい?」
 と、剣士よりも年上の女性たちが彼に声をかけた。派手な服を着て、派手な化粧をした、娼婦たちだ。辺り一面が踏み固められた、氷とも言えるような雪に覆われているというのに、彼女たちは客寄せのために、ずいぶんと寒そうな薄着をしている。
「悪いねえ、おねえさん。あいにく今は持ち合わせがないんだ」
「あらぁ! あんたにならむしろ私たちが金を出すよぅ! だからいらっしゃいな!」
 娼婦達が誘うのも無理もなかった。彼は、実に若々しい美男子であった。年齢は二十三になったばかりで、それなりに身長が高く、剣士とは思えないほど華奢である。青年らしく、それでいて男らしい顔つきをしており、絵に描いたような色男だ。ただ、黙っていても女が言い寄ってくるのだが、段から笑顔を絶やさないものだから、余計に女に声をかけられる。
 とは言え、彼はこの国と敵対している、ルーク国の姫君に仕える剣士だ。目立った行動は控えなくてはならないし、なによりその姫に叱られたばかりだったのだ。
 「へへへっ、そこまで言われちゃあ、しょうがない。じゃあ、ちょっとだけな」
 姫にしかられて入るのだが、彼は助兵衛であった。このような機会を彼が逃すはずがなく、逃してしまっては男が廃ると考えている。それだけでなく、姫に命令されていようとも、見つからなければ問題ないだろうとさえ彼は考えたのだ。
 そうして剣士は娼婦のもとに近づこうとすると、
「アラン!」
 と、砲撃のような怒鳴り声が背後から鳴り響いた。剣士アランは、思わず猫のように飛び上がってしまった。娼婦たちも反射的に身をすくめてしまった。
 顔を真っ赤にした、いかにも頑固そうな中年の男が、アランの背後に立っていた。
「なんだ、ロッジかよ、脅かすんじゃねえよ」
「宿に戻れ」
「何でだよ。俺はこれから忙しいんだ。用事なら後回しにしてくれ」
「シルトが戻ってきた」
 それをきいて、アランの表情が変わった。きっ、と眉をひそめ、口を閉じ、先程までのとぼけた雰囲気が消えていた。
「悪いねえ、おねえさんたち。ちょっと用事ができたから、また今度な」
 と、再び笑顔を作り、娼婦たちに優しく言った。
 
 アランとロッジは、尾行に気を配りつつ、繁華街から少し離れた場所にある、一軒の店の中に入った。
 木造建築、二階建て、全体的に白を基調とした外観の酒場である。店内は、木造ならではの内装で渋く落ち着いた雰囲気があるのだが、同時に人々の笑い声や話し声でにぎわっていた。暖炉のおかげか、それとも人々の活気のおかげか、外よりも遥かに暖かい。
 二人はまず、怪しい者がいないか確認するために、店内にいる人々を一瞥した。見たところ、武器を隠し持っている者はいないし、誰もが酒と会話に夢中になっているようであった。それから、暖炉の横を通り、店の奥にある階段を駆け上がった。
 二階には狭い廊下が続いていた。一歩進むごとにぎしぎしと音が鳴り、一階と比べると少々肌寒い。それでも外に比べるといくらかましといえる。
廊下にはいくつもの扉が並んでいた。この酒場の二階は宿泊所となっているのだ。とはいえ、狭く汚い部屋に小さなベッドがあるだけの、実に簡易的なものである。もとは、下の階で酔いつぶれたり、体調を崩した者が休憩するためにある、酒場のおまけであるようなものなのだから、汚いのは当然であった。
 ロッジは、廊下の一番奥にある扉を勢いよくあけた。
「姫様! アランを連れ戻しましたぞ!」
 部屋には熊のような大男が一人、部屋のベッドに腰をかけている女性が一人、その両隣に立っている侍女らしい女性が二人、そして腰に剣を差した女性が一人、と五人の男女がいた。その五人は、ロッジのあまりにも大きい声に驚きながら、下の階に聞こえてはいないかと焦った。
「静かに。私達がなぜ目立たないように行動していると思っている」
「……ぐ」
「それと、誰に聞かれているとも分からないのだから、姫ではなく、名前で呼ぶ約束であろう」
 四人の女性の中で最も険しい表情をしている、腰に剣を差している女が、ロッジを睨みながら叱咤した。凛々しく美しい女である。
「しかし、わしには姫様は姫様で――!」
「いいか? 私達は各地を旅しながら行商して生計を立てている家族だ。『設定』を忘れるな」
 ロッジが言い終わる前に、女はさっと長い髪をかきあげながら言った。
「とりあえず戸を閉めてくれ」
「う、うむ」
 ロッジはアランを部屋の中に入れて、扉を閉めた。
「呼び方を急に変えるのは大変でしょうけれど、意識していればそのうち自然に呼べるようになると思いますよ」
 と、ベッドに腰をかけている女性が微笑んだ。
「リンド……、特にこの二人は、あまりそうやってあまやかさないほうがいい」
 と、ロッジを睨んでいた女は、『リンド姫』を見た。
 リンド姫は、美女というほどの女性ではなく、むしろ素朴で純粋そうな、可愛らしい女性であった。ただ、みなと同じ民族衣装に身を包んでいても、立ち振る舞いがしなやかで上品なためか、一人だけ気品があるように見える。
「それで、シルトが戻ったっていう話は」
「ええ、実に深刻な事態になりました」
 アランが問うと、リンド姫は顔をしかめた。
「シエル、お願いします」
 リンド姫は、彼女の隣に立っている、黒髪の女に声をかけた。シエルと呼ばれたこの女は、部屋のろうそくに近づいた。
 アランとロッジは、シエルの影を見て言葉を失った。
 シエルの足元には、二つの影が生えていた。ひとつは、光源、ろうそくに最も近いところから壁際に向かって、徐々に濃さを薄くしていく彼女の影。もうひとつは、壁際に向かうことなく、薄くなることもなく、彼女の背後で立ち上がっているくっきりとした影。
「アルフレッド王を監視していた、兄、陰影の剣士シルトからの最後の伝言です」
 そういう彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「アルフレッドに姫様の行方、発覚せり。至急エジスタを脱出されたし。また、アルフレッド、六賢老なる術者共を刺客に放ち、ルーク四剣士の命、ことごとく狙う模様。重ねて気をつけられたし」
「……」
「……この後、兄の影は、動かなくなりました。」
 消え入りそうなかすれ声で、シエルは言った。
「シルト殿は、今……」
「兄は自身の影を私に預け、偵察に行っておりました。その影が動かなくなったということは、影を動かす者がいなくなったということ。つまり、兄は死んだということ。じきにこの影も消えることでしょう」
 言い終わっても、シエルは泣き出さなかった。姫の手前、従者が涙を流すわけにはいかないと考えているのだ。
それを見かねたリンド姫が、泣いていいとやさしく声をかけると、シエルはその場に崩れ落ち、静かに涙を流し始めた。リンド姫はシエルのそばによって、慰めるように彼女の肩を抱いた。
 アランたちも、彼女の悲痛な泣き声に胸を痛めていたが、長年、死地を共にしてきた戦友の死をなによりも悲しんだ。
「六賢老か……。たしかエルヴィアを陰で支える魔法使いの集団であったな」
「ああ……。たかだか魔法使いと甘く見ていたが、まさかシルトを死に追いやるほどとは。……しかしまずいことになったな」
 ロッジが思い出したように言い、アランがうなずいた。
「俺達がここ、エジスタにいることがばれたのであれば、すぐにでもエルヴィア兵がここにおしかけてくるだろう。それに俺達がエルンを目指していることもわかったはず。となれば、空港の警備も厳しくなるだろうし、……どうしたものか」
「私に考えがある」
 先ほどロッジを叱咤した女剣士が言った。
「空船に乗れればいいのだろう? ならなにもエルンの空港に行かずともよいであろう」
「……エレナ。何を考えている」
 ロッジはエレナの性格をよく理解している為、彼女が次に言う言葉に大体の予想がついている。
「北へは向かわず、西のハイリット城を目指す。あそこならいくらでも空船があるじゃないか」
「……何を! 敵の本拠地ではないか!」
「だが他に何か手があるか? どうせ敵地のど真ん中にいるのだ。今さら怖気づくこともないであろう」
「無茶だ! いくらなんでも無謀すぎる! 確かに敵地に侵入するまではよかったが、これは奇策でもなんでもない! 命を捨てるような物だぞ!」
 と、エレナの意見に反対する。そもそも、関所を通るまでエルヴィアに入ることをかたくなに拒否していたのはロッジであったし、彼はなんとしてでもリンド姫を安全な場所に逃がしたいのだ。
「いや、しかしこのまま西に向かうことには賛成だ」
「アラン! お前まで何を言いだす!」
「実は繁華街のほうで商人から聞いたのだが、割と最近までこの街に変わった風貌の男がいたらしい」
 ロッジが喚こうとも、アランは構わず続けた。
「年齢は三十から四十ほどで、無精ひげを生やし、黒髪を長く伸ばして後頭部で結び、妙な服を着た男だという」
「……」
 それを聞いたロッジは突然、黙った。ロッジだけでなく、その場にいる全員が真剣に彼の話を聞いている。
「それに、腰には見たことも無いような形の剣を差していたらしい。……俺たちの知っている男の特徴によく似ているとは思わないか?」
「……まさか、ジュウゾウか?」
 と、ロッジが狼狽した。
「誰ですか? そのジューゾウという男は?」
「え? さあ、私にも分からない」
 リンド姫が不思議そうに訊いた。きょとんとしているところを見るとエレナも知らないようであるが、アランの口ぶりやロッジの驚きようから、ただ者ではないということだけは想像できる。
「リンドとエレナは知らないだろうが、元ルーク四剣士の一人で、歴代の剣士たちの中で最も強いといわれている曲刀使いのことさ。ジュウゾウを味方につければ、あるいはこのままアルフレッドの首を取ることもできるかもしれない」
「……」
「そのジュウゾウらしき人物が、ここから西に半日ほど行ったところにある街に向かったらしいという話を聞いたんだが、まあ俺はジュウゾウを味方にした上で、隙を見てエルンから脱出することを勧めるけどな」
「しかし、アラン。そのジューゾウという元剣士はなぜエルヴィアにいるのですか」
「たしか、ルークの剣士を辞めた後、傭兵として各地を転々と渡り歩いていると聞いていたが、俺もエルヴィアに来ていると聞いて驚いたよ。……おそらく、エルンとハイリット城のちょうど間にある鍛冶師の街に用があるんじゃないかと思う」
「ふむ、なるほど。ではその鍛冶師の街に行けば、ジューゾウとやらに会えるということですね」
「とりあえずは、ジュウゾウが行ったらしい西の街に行かないと分からないけどな」
「では、ジューゾウの行方を捜しに、西の街に行きましょう。ええと、その街の名前はなんと言うのですか?」
「トールという街だ。確かこの時期は祭りをしているはずだから、民衆に紛れ込めば、そうそう見つかりはしないだろう」
 
 当面はジュウゾウを探しながら逃げることにしたリンド姫たちは、すぐさま宿から出る仕度を始めた。
「そうだ、アラン。先に馬小屋まで行って、ここまで馬車を連れてきてくれないか?」
「おう、まかせろ」
 ロッジが馬小屋の鍵をアランに投げ渡した。
「あ、私も行きます」
 と、アランが部屋を出ようとするのを見て、侍女の一人が言った。
 酒場を出ると、外には雪が降り始めていた。昨晩が猛吹雪だっただけに、道中、馬車が雪に道を阻まれはしないか心配ではあるが、ともかく今は一刻も早くこの街から出なければならない。アランは、月も星もない、真っ暗な夜の闇を見上げながら、不安そうな顔をしていた。
「行こうか、レイン」
「はい、アラン様」
 そして、二人は雪の降る夜の街を歩き始めた。
 馬小屋は泊まっていた酒場から少し離れた場所にある。わざわざ酒場から離れたところの馬小屋を使っているのには訳があった。
 このエジスタという街は行商人の人口が多い。各地を回る商人達が、取引の中継地点として利用したり、情報交換の場として使用したりすることが多いのだ。そのため、商人の出入りが非常に激しく、行商一家を装っているリンド姫たちは容易くエジスタに入ることができた。しかし、彼女達がエジスタに入った昨晩は吹雪という悪天候であったため、街から出ようとする者が少なく、七人全員が泊まれる宿が見つからなかったのだ。そこでやっと見つけたのが馬小屋のない酒場であった。幸い、有料で馬を預けていられる馬小屋も見つかったため、この酒場に泊まったのであった。
「街を出るといっても、吹雪いた後だし、大丈夫だろうか」
「大丈夫だと信じたいですね。道中、立ち往生でもしたら、それこそ逃げ場がありませんし」
 アランはレインを横目でちらと見た。彼女の栗色の髪に舞い降りた雪が、すっと溶けて消えた。彼女の髪は、耳にかかる程度で、さほど長くはない。その髪の間からわずかに見える耳が赤くなっていることを、アランは見逃さなかった。
「……? なんですか?」
 アランの視線に気づいたレインが、アランの顔を見上げた。
「いや、寒くはないかと思って」
「……気にかけてくれているのですね」
「当然だろう。俺を誰だと思っている」
 アランの言葉が嬉しかったのか、レインは、ふふ、と微笑んだ。
「もう、アラン様は小さい頃から生意気なんですから」
「おいおい、今は姫や他の剣士たちもいないのだから、水臭い呼び方をするなよ」
 はたから見れば、長年連れ添ってきた夫婦のように見えることであろう。
 現に二人の関係は一年や二年程度のものではなかった。というのも、二人は幼いころより、まるで姉と弟のような関係でいたのだ。住んでいる場所が近かったということもあるだろうし、互いの父親が親友であったということもあるだろう。
 とはいえ、アランはいつまでもきょうだいでいるつもりはなかった。
 二人の間には五つほどの年齢差があるのだが、アランには、その頃はレインが大人な女性のように見え、ずいぶんと魅力的に感じていたのだ。幼い子供にとってこれほどの差というものは、大きな開きのように思えるものであるのだから無理もないだろう。
 レインが二十歳になったとき、王室に刺繍の腕を買われ、城に住み込みで働かないかという誘いがきた。王妃がたまたま彼女の刺繍を目にして、いたく気に入ったのだという。自分の腕が、それも王室の目に留まるということは大変な名誉であるし、何よりも彼女の家は貧しかったため、レインはその誘いを断る理由がなかった。
 だが、レインにとっての吉報は、アランにとって凶報に他ならなかった。城に行ってしまえば、実家に帰れることなどほとんどないからだ。アランは何とかして彼女を引き止めたかったのだが、当時の彼はまだうぶで、自分の想いを伝えられず、遂に彼女が城に行くまで何も言えずにいたのだ。
 以来、アランは一流の剣士にならんと努力した。兵士として仕官することは容易いが、城の中を自由に動こうと思うと、高い地位を手に入れなくてはならなかったのだ。最も、それ自体は実に早く実現した。もともと剣士としての才能があったのか、アランは二十歳ごろには既にルーク四剣士の一人として恐れられるほどの実力をつけていたのだ。
 そうしてアランはやっとの思いでレインに会うことができた。エルヴィアの兵が城に攻めてきたとき、ガロン王からリンド姫を逃がすよう下知が下ったとき、真っ先に彼女の手を引いて城を脱出したのも、長年の想いが彼を突き動かしたからであろう。
 そうしてアランはレインに惚れこんではいるのだが、よく夜遊び、女遊びをする男であった。というのも、過去の出来事を悔い、うぶな自分を変えたいという理由で夜遊びを始めたのだ。しかし、教わった相手が悪かったのか、今ではすっかり女好きになっている。
 
 馬小屋の手前に来ると、あたりは不気味なほどに静まり返っていた。
 アランは手にランタンを持っているのだが、その明かりは地面を覆っている雪や、ちらちらと降りてくる雪が反射させている。しかし、他には何もないのではないかと考えてしまうほどに、照らした先は白と黒の二色の世界が広がっていた。街灯の明かりはひとつとして灯っておらず、立ち並ぶ建物はことごとく夜の闇に飲まれているのだ。
 と、二人は馬小屋の前までたどり着いた。
「ちょっと待っていろ。すぐに馬を出す」
「はい」
 アランはランタンをレインに渡し、鍵を手に、馬小屋の中に入った。
 牧場にあるものと比べると小さく狭い馬小屋の中には、アランたちの馬しかいなかった。そうなると、狭いはずの小屋は少々広く思えてしまう。
 さくさくと、床に散らばっている藁を踏みしめて、アランは預けた馬のもとに寄った。この汚い馬小屋には勿体ないような毛並みの馬を外に出そうと、門の鍵を開けた。
「アラン様!」
 開けたが先か、レインの悲鳴にも似た叫び声が聞こえ、アランは稲妻のように馬小屋から飛び出した。
 四人の男がいた。男たちはレインを囲むように並んでおり、駆けつけたアランをぎろりと睨んでいた。
「なに見てやがる。こいつはお前の女か?」
 そう言いながら、二人が、ゆらり、ゆらりと近づいてきた。
「……なるほど。どうりでこの辺に商人がいないわけだ」
 この辺りというのは、アランたちが泊まっていた酒場も含める、繁華街から離れた地区のことである。
 繁華街から離れるにつれ、人通りと商人の数がめっきり少なくなっていたのだが、繁華街から離れるとこうした追い剥ぎが現れる、ということを商人たちが知っていたのだろう。
 四人の追い剥ぎは、そろいも揃って布で口元を隠し、腰に剣を差していた。
「ああ、俺の女だ」
 アランは高らかに言った。
「アラン様」
「うむ、分かっている」
 アランの後ろからも、同じような格好をした男達が二人、近づいてきていた。そのことをレインが伝えようとしたが、アランは気づいていた。
「……あり金とこの女を置いていけ。……そうすりゃ命は助けてやる」
 リーダーらしき男が、ぐいとレインの腕を引っ張り、どすの利いた声でアランにそう言った。いくら腰に剣を差しているとは言え、二十歳そこそこに見えるアランを、男は脅せば怖じ気づくだろうと考えたのだ。
「たわけ。彼女からその汚い手をどけて、お前たちが失せろ。そうすりゃ命だけは助けてやる」
 しかし、怖じ気づくどころか強気なアランの姿勢を見て、追い剥ぎたちは驚き、同時に逆上した。
「なんだと?」
「聞こえなかったか? 失せろと言っている」
「・・・・・・やれ」
 リーダーらしき男が静かに言った。
 その刹那、びょう、と強い風が、追い剥ぎたちの間をすり抜けた。
「大丈夫か、レイン?」
「え、ええ。大丈夫です」
 気づくと、いつの間にかアランはレインのそばにいた。
 追い剥ぎたちには何が起きたのか分からず、阿呆のように口を開けていた。いや、レインでさえ、なぜアランが目の前にいるのかがわかっていない。
 アランの不可思議な行動に、言い知れぬ恐怖を覚えた追い剥ぎたちは、一斉に腰の剣に手を伸ばした。と、腰の剣がなくなっていることに気づいた。
「こいつがいるのかい?」
 アランは、数本の剣を両手に持っていた。それらは確かに追い剥ぎたちが腰に差していたものであった。
 あまりの出来事に狼狽している追い剥ぎたちを見て、アランは何を考えたのか、剣の一本を、リーダーらしい男に投げ返した。
 剣を受け取った男は、なおもあっけにとられている様子でいる。
「それ持って失せな」
 と、アランが実に余計なことを言った。
 さすがに男もこれには顔を真っ赤にし、額に青筋を浮かべ、憤怒の形相となった。感情に任せ、男は鞘から剣を抜いた。ランタンの明かりを受け、刀身がちらと輝いた。
 男は鞘を乱暴に投げ捨てると、両手で剣の柄を持ち、怒涛の勢いでアランに突進した。そして、剣を高々と振り上げ、アランの体を真っ二つにせんと振り下ろそうとした。
 と、男は突然、ぴたりと動きを止めた。
 いや、動けなくなったといったほうが正しいだろう。
 男が剣を振り下ろすよりも速く、アランが追い剥ぎの懐に入っていたのだ。しかも、その体勢、横薙ぎを追い剥ぎの胴に入れる間際、まさに後一寸ほどのところで剣を止めていた。
「どうした? 斬らないのかい?」
 余裕の表れか、アランは再び追い剥ぎを挑発しながら、不敵な笑みを浮かべていた。笑み、とはいえ、鋭い眼光から強烈な殺意がむき出しになっており、凄まじい気迫である。
 男は顔面を蒼白にし、額から滝のように汗を流していた。ごくり、と息を呑んだのは、彼だけではなく、その後ろで様子を伺っている残りの追い剥ぎたちも同様であった。
そして、男はそのままの姿勢で、ゆっくりと後ずさり、アランから離れると、追い剥ぎたちを連れて、慌ててその場から逃げ出した。
「はっ。俺を相手にしようってのがそもそもの間違いだな」
 追い剥ぎたちの姿が見えなくなり、人の気配がなくなった後、アランは悪態をつきながら剣を鞘に収め、レインの傍に寄った。
「すまない。怖い思いをさせたな」
 アランはレインの傍に寄りながら、彼女に声をかけた。すると、はっと我に返ったように、レインは小さな声を上げた。それから、彼女はアランの腕に飛びついた。アランは、彼女の体わずかに震えていることに気づいたのだが、それが何も凍てつく寒さのせいだけではないということに気づいていた。
 と、突然レインは、きっ、と睨むようにアランを見上げた。
「何もあそこまで挑発することはなかったのではないですか?」
「いや、すまない。つい俺も腹が立ってな」
 へらへらといつものように笑っているアランの顔には、夢だったのかと思ってしまうほどに、先ほどの凄みがなかった。しかし、その笑顔でレインは落ち着きを取り戻せた。
 ふと、レインはアランの言ったことを思いだし、顔を赤らめた。
「……私はいつからあなたの女になったのでしょう」
「……いやか?」
 うつむき、小声で言うレインを見て、アランは優しく彼女にささやいた。
「いやじゃないです……、けど」
 さらに小さな声でつぶやき、レインはアランの顔を見上げられなかった。今、アランの顔を見上げて、その屈託のない笑顔を見てしまえば、自分はアランに惚れてしまうと考えたのだ。
 そこで、レインは一度大きく深呼吸をし、
「そういえば、ロッジ様に聞きましたけど、また夜遊びに行こうとしていたそうですね」
 と、彼女は意地の悪そうな笑顔でアランを睨んだ。
「ロッジのやつめ、余計なことを」
「私にそういう生意気なことを言いたいのなら、夜遊びを二度としないと誓ってから言うのですね」
 冗談っぽくレインは言った。アランははにかみながらも、ばつが悪そうにレインから顔を背けた。だが、すぐに彼女に向き直り、普段のアランからは想像もできないような真剣な面持ちをした。
「誓ったら、言っていいんだな」
 まっすぐに自分を見つめるアランの瞳を直に見てしまい、レインは白い肌をほのかに桜色に染めながら、卑怯な男だ、と心の中で叫んだ。
「もう、昔みたいな仲にはなれないかも知れないのよ?」
 レインの口調が変わった。幼い頃から自分に話しかけるときの口調だ、とアランは気づいた。
「レインが昔みたいな関係を望んでいようと、俺はそれを望まない」
 そして、アランはそっと、左手をレインの腰に回し、右手の人差し指と中指を彼女のあご先に当てた。
「……早く姫のところに戻らないと」
「少しだけなら心配ないさ」
 そう言って、アランはゆっくりとレインに顔を近づけた。レインも目を閉じ、アランの想いを受け入れようとした。
「……」
「…………!」
 突然、アランはがばと身を翻した。
 ……何かが、いる。
 尋常ならざる者の気配を察知し、眼前に広がる闇の先を、警戒する獣のごとく、鋭い眼光で睨んだ。同時に、アランの全身に戦慄が走り、ぶわと体中から脂汗が滲み出した。冷や汗が頬を伝い、あご先でたまる。
「アラン?」
 アランには、レインの声が聞こえていないようである。いや、聞こえてはいるが、聞いていなかった。
 もそ、もそ、もそ、と雪の上を歩く音が、ランタンの明かりに近づいてきた。
 老人であった。丸々と太った、人のよさそうな老人が歩いてくる。老人はぼろ布を身にまとい、長い杖を手に、まるで乞食のような姿でのらりくらりと歩いてくる。
「ほっ。ワシの気配に気づくか、小僧」
 老人が立ち止まり、しゃがれた声でそういった。
「ぬかせ。そんだけ殺気を出してりゃ、気づかぬわけがない」
 アランは剣を鞘から抜いた。抜いて構えた。老人がただ者ではないことに気づいたアランには、先ほどのような余裕がなかったのだ。
「……レイン。今すぐ逃げろ」
 老人に聞かれないほどの小声で、アランはすぐ後ろにいるレインに言った。
「でも……!」
「宿に戻れ。……そして残りの剣士たちを呼んできてくれ」
「……分かりました」
 アランの表情を見たレインは、これがどれほどの事態なのかを察したのだが、なによりも、ここにいては足手まといになるだけだろうと考え、引き下がった。
「必ず……、必ず呼んできます。だから――」
「俺は大丈夫だ」
 レインの言葉をさえぎって、アランは優しい声でそういった。
「行け!」
 戦いの最中で余所見をするほどアランも愚かではない。一度もレインの顔を見ることなくアランはただ眼前の敵を見据え、レインはそんなアランの険しい表情を眼に焼き付けて、その場を後にした。
レインの足音が完全に聞こえなくなるまで、アランと老人は、互いにその場から一歩も動かなかった。
 
 一粒の雪が、アランの剣の横を流れ、そっと地面に舞い降りた。それを最後に、雪はすっかり止んでしまっていた。
 次第に風がその勢いを増してきた。真冬に吹く風は、氷の彫刻から漏れた吐息のように冷たく、その風に晒している肌を凍りつかせんとしている。
「ルーク四剣士が一人、神速の剣士とお見受けした」
 レインがランタンを持っていったため、辺りは完全に暗闇に飲まれていたのだが、目が慣れてくると、アランは月明かりを頼りに、太った老人の姿を確認した。その老人が、低く、かすれ気味の声でアランにそういった。
「ああ、そうだ。人は俺を神速の剣士アランと呼ぶ。そういうお前は六賢老の一人だな」
「ほっ、いかにも」
 と、老人は冷静そうに言った。
「ワシは『重力のグラフ』。エルヴィアの王、アルフレッド様の命により、お主の首を頂戴しに参った」
 二人の間は、四丈(およそ十二メートル)ほど離れており、これは先ほどレインが襲われそうになった時よりも間がある。アランにとっては大した距離ではないのだが、何分、相手が魔法使いである以上、どの様な攻撃を仕掛けてくるかが分からないものだから、アランは間合いを詰められず、同時に仕掛けられずにいた。
「依頼主の名前を出していいのかい?」
 アランは余裕そうにそういった。
「ほっ、お主を始末すればなにも問題はない」
「神速の剣士を前にして、言うじゃないか」
「お主ではワシは斬れぬからの」
「それにしても、あいつを逃がしてくれるとはな」
「なに、お主を早々に殺した後で、ちゃあんとお主の後を追わせてやるさ」
 なまずのようにひょろひょろとした髭を弄りながら、優しい笑顔でいたグラフが、一転して獲物を狙う怪物のごとく、鋭い眼光でアランを睨んだ。同時に、左の手のひらが見えるように腕をつきだした。
 刹那、アランが仕掛けた。
 一歩目。その強靭な脚力、凄まじき瞬発力で、地を力強く蹴り、素早く大きく前に出た。
 三歩目に、アランは風を身に纏いながら、速度をさらにあげた。
 驚異的な早さである。アランはまさに風そのものとなり、常人には捉えられない速度で、一気に距離を縮めた。
 敵を捉え、アランの脳内には明確なイメージが浮かんでいる。踏み込みながら、グラフの胴を横薙ぎで切り捨てるイメージだ。アランの全身に力が入った。
「むうん!」
 グラフがつき出した左手で空を掴み、そして右手で持っていた杖を力強く地に突き立てた。
 突然、アランはどおと倒れた。他でもない、アラン自身が信じられないのであるが、地面が起き上がったのだ。
「……なんだ。……これ!」
 立ち上がろうと、腕や足に力を入れるも、生まれたての小鹿のように手足が振るえ、のみならず、大きな重石が覆い、のしかかっているかのように全身が重い。たとえ膝をつけるまで体を起こしたとしても、そこから立ち上がろうとすると、再び体が地面に吸いつけられるのだ。
「ほっ。いかに神速の剣士とは言え、ワシの重力の前には無力!」
 そして、グラフはぎらぎらと殺意に満ちた眼光をアランに向けつつ、ゆっくりと地に伏せているアランに近づいてきた。
「念のため、もう一度かけてやろうかの。……むうん!」
 言って、グラフはまた、左手で空をつかみ、地に杖を突きたてた。
「……!」
 アランの背後には何もないはずだというのに、その体はさらに大地に押さえつけられ、もはや息をすることすらつらい状態となった。
 それでもなお、アランはすぐ近くまで来ているグラフに一太刀入れようと、今にも彼の首に噛み付かんばかりの気迫で立ち上がろうとするのだが、足を失った狼のように、ただ地に這い蹲りっているだけであった。
「なんとも惨めな姿よの。剣士殿」
 と、グラフが懐から短剣を取り出した。すらりと鞘から抜き出された刀身が、月明かりをきらりと反射させた。
「ああ……」
 王の命など聞かず、レインの手をとったとき、そのまま逃げていればよかったな。アランは眼前に飛び込んでくる刃を見ながら、心中でそう叫んだ。
 
「さすがは『重力のグラフ』だな」
 グラフの背後から、ゆらりとローブを羽織った男が現れた。
「ほっ、フルズか」
 と、グラフが振り返ると、闇の中にぼうと幽霊のような男が立っていた。不気味なことに、この男には顔がなかった。目、鼻、口、耳、それら全てが本来あるはずの場所には何もない。形がなければ穴すら開いていないのだ。頭には一本も髪の毛が生えておらず、肌も死人のように真っ白である。まるで作りかけの人形のような男であった。
「その男、完全に死んでいるだろうな」
 一体どこから声を出しているのか、のっぺらぼうのようなフルズは少々警戒している。
「ほれ、見てみろ。しっかりと死んでおろう?」
 そういいながら、グラフは雪の上に横たわる、美麗な剣士の髪を乱暴につかみ、ぐいと頭を上げた。と、グラフが切り裂いた剣士の首が、ぱっくりと割れ、頭部だけがフルズのほうを向いた。
「ぐふっ。確かに死んでいるようだな。……どれ、その男、俺に貸せ」
 フルズは剣士の体を仰向けにすると、あろう事か、その死体にまたがり、懐から鼠色の土塊を取り出した。土塊は非常に柔らかいようで、フルズの骨のように細い指先でも、伸ばしたり丸めたりと、特別力を入れることなく形を整えられていく。
 それから、やや楕円に形を整え終えられた土塊を、フルズは剣士の顔に押し付けた。
 土塊を顔から離すと、そこには剣士の顔がくっきりと浮かんでいる。さらに、土塊も一瞬にしてその柔らかさを失い、今では石膏の型のように固くなっていた。
 そしてフルズは、土塊を自分の顔に押し当てた。電球のような顔面に馴染ませようとしているのか、強く土塊を自分の顔に押し付けている。
すると、見る見るうちにフルズの頭から髪が生え、耳が生え、体格や肌の色さえも、果てには服装すら変わっていった。
 と、フルズが土塊を顔から離した。だが、そこには人形のような顔は無く、横たわっている剣士の死体とそっくりの顔があった。
「ぐふっ。どうだ。お前が切り殺した相手はこんな顔だったか?」
 美しい剣士の顔で、不気味な笑みを作りながら、フルズは先ほどとは全く違う声で言った。
 
 レインは涙を流しながら走っていた。足場の悪い雪道のせいで膝や太ももはひどく痛み、冷たい風のせいで息を吸うことさえつらく苦しいが、それでもただひたすらに、泣きながら走っていた。
 大丈夫だと言ったときのアランの声、行けと言ったときのアランの表情、レインはそれをよく知っていた。かつて、戦に行って二度と帰ってこなかった父親の、戦地に行く前のそれと全く同じ、死を覚悟した男の顔なのだ。そしてそれは、彼女の心に深い傷を負わせ、長い間彼女を苦しめていた。
 おそらく自分が剣士たちを連れて戻っても、アランは死んでいるだろう。と、過去の記憶がレインに確信させていた。
 今のレインの脳裏には、死を覚悟したアランの顔が焼き付いてしまっている。いや、それだけでなく、父親の顔、彼女にとっての悪夢も同時によみがえってしまっただけに、今レインは底知れない絶望の淵に沈んでいた。
 と、足の痛みのせいか、それとも雪のせいか、レインはつまずいて転んでしまった。
 手に持っていたランタンが割れ、中の火が消え、辺りを凍てつく闇が覆った。
 そのままレインは大声で泣き出したかった。しかし、この季節の冷たく乾燥した空気が喉や肺を痛め、声が出なかった。涙だけをぽろぽろと流しながら、レインは人通りの無いくらい夜道の中でうずくまった。
 ふと、風のせいか、耳のせいか、レインはアランの声を聞いた気がした。手元に転がっている割れたランタンに火を灯して夜道を照らし、しばしの間、ぼうとアランが来るのを待っていた。だが、アランは姿を現さなかった。
 レインは立ち上がり、すりむいた膝をさすり、そして姫と剣士たちのいる酒場へと向かい始めた。
 それからしばらく歩き続けた後のことである。
 レインは、ふと立ち止まった。遠くから馬の走る音を聞いたのだ。振り返り、来た道を手に持っているランタンで照らすと、
 かかっかかっかかっ……、
 今度は確かに聞こえる。それに音が徐々に近づいてきている。
 アランか、敵か、あるいは全く関係の無い人間か。
 レインは先の見えない夜の深い闇を、警戒しながら凝視した。
 かかっかかっかかっ。
 と、一頭の馬と、その馬に乗っている男の姿が見えた。
「おお! ここにいたか!」
 馬には、どう見ても二十歳そこらでの美男子が乗っていた。腰に差している剣を扱えるのか疑問に思ってしまうような華奢な体つきで、男らしく、さわやかな青年である。
「アラン様!」
 レインは驚愕のあまり、悲鳴のような声を出してしまった。そう、神速の剣士アランがそこにいたのだ。
「無事か!」
 と、アランが馬から降り、レインの傍に近寄った。
「あの魔法使いはどうしたのですか?」
「いや、存外たいしたやつではなかったよ。拍子抜けしてしまうほど弱かった。この調子なら残りの六賢老も問題なく倒せるだろう」
 と、アランは自信満々に言い、いつものようにへらへらと笑って見せた。
「……そう、ですか」
 それを聞いたレインは、はあと思わず真っ白な安堵のため息を漏らした。と、同時に、緊張の糸が切れたかのように、涙を流し始めた。
「おいおい。もう大丈夫だって」
「……だって。本当に心配したんですから」
「泣くな泣くな。それより姫のもとに速く戻らなくてはな。」
「……」
「……どうした?」
 レインはきょとんとした表情でアランを見つめていた。というのも、普段のアランならたとえ見知らぬ女でも、女であれば必ず泣き止むまでやさしく慰めるはずだからである。それは姉と弟のような関係であったレインに対しても同じはずである。慰めてくれることを期待していたわけではなく、ただアランという男のことをよく知るレインだからこそ違和を感じたのだ。
「……いえ、なんでもありません」
「そうか? それじゃあ、急ぐぞ」
 余裕の表れか、アランはへらへらとした笑顔を崩さない。
「それにしても、なんだって遠回りになるこっち通り選んだんだ」
 そう聞いて、レインは道を間違えたのかと通り名が書かれてある看板を探した。ランタンを掲げ、辺りを見渡すと、少し離れたところに看板の付いた鉄柱がわずかに見えた。
 そして、レインの視界に看板が入ったその瞬間、彼女は背中に強い衝撃感じた。
 見下ろすまでもなく、胸を貫いた真っ赤な刀身が見える。
 ああ、やっぱりそうか。そう思いながらも振り返ると、アランはレインに優しく微笑みかけている。
 心の臓を的確に刺し貫かれ、手に力が入らなくなったのか、レインはランタンを落とした。
 それでも、レインはアランを見て幸せそうな笑みをこぼした。目の前にいたのが偽者であると分かっていても、最後に見るアランの顔が、あのいつもの優しい笑顔であることに、レインは幾分か救われたのだ。
「……ありがとう」
 弱々しく、かすれるような声でそういうと、レインはその場に崩れ落ちた。そして、意識が遠のく中で、このままアランのところにいけるのならそれでいい、と祈るように眠りについた。
 
 アランに扮する魔法使い、フルズは、倒れたレインの体に突き刺さっている剣を引き抜いた。暗い夜道の中、白い雪のじゅうたんが、レインの血で真っ赤に染められていく。
「ほっ。この調子なら他の者共も楽に始末できそうだの」
 いつの間にか、グラフがフルズの背後で、その長いなまずひげをいじりながら立っていた。
 グラフは真冬の夜中だというのに顔から脂汗を流しながら、雪の上をのっしのっしと歩き、フルズの隣に並んだ。
「この女、俺がにせものだと気づきやがった」
 フルズは実に悔しそうに歯軋りをしながら、アランの美しい顔をゆがめた。
「お主の変化を見破るとはの」
 と、フルズはアランのときと同じように、レインの体を仰向けにし、懐から取り出した土塊で顔の型をとった。そして、型を自分の顔に押し付けると、髪がさらに長くなり、加えて胸部が膨らみ、女性らしい体つきに変わっていった。
「むふっ。やはり変化するならば女の体だな」
 髪を両手でかきあげ、ゆっくりと立ち上がり、女そのものの声で、顔で、グラフは下品な笑みを浮かべた。
「おう、グラフ。俺はこのままこの女になりすまし、やつらの中に潜り込むぞ」
「む? よもや、そのまま全員を殺す気ではあるまいな?」
「まさか。俺はやつらの目的をはっきりさせたいだけだ。何せ、敵地のど真ん中に忍び込むほどのことだ。単に戦から逃げるためや、アルフレッド様の暗殺が目的ではなかろう。それに、俺には変化しかできないことを、お前もよく知っているだろう」
「ほっ。ではワシは一度、報告のために戻るとするかの。まあ、グレアのばあさんが見ているだろうからその必要もないだろうが」
 そして二人の魔法使いはその場を離れ、この真冬の寒空の下に女の死体だけが残された。
 





完全に山田風太郎じゃないか
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