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俺の屍を越えてゆけ 平安滞在記4 ~姉と妹・母娘~

二代目当主となった香苗は、実によくやっていた。
凛然とした表情で、毅然とした態度で、威厳のある風格で立ち振る舞う彼女は、
まるで初代当主のようであり、その働きぶりには誰もが感心した。

香苗は常に、よき当主たらんと勤めていた。
先代の名を襲名して以来、その名に恥じぬように生きることが、自身のすべき事であると信じ、
先代と同じ名を名乗ることを、誇りに思っていた。

全ては、「先代のようである」と評されたいがために、である。

自分の生き方は正しいのだろうか。
自分の倫理観や道徳観は正しいのだろうか。
当主たらんとするにはどうすればいいのか。
香苗には何一つ分からなかった
分からないということが、心底、恐ろしくてならなかった。

当主の後ろをついて歩いていた香苗にとって、
道筋なき道を往くのは耐え難くあったのである。

ゆえに、香苗は、先代の後姿を指針としていた。
世界の秩序であり、規範であり、人としての模範である先代を、模倣するかのように振舞っていた。
人に「先代のようである」と言われることで、自らの行いに間違いがないのだという実感が持てていた。
そうすることで、香苗は震える足を抑え、わななく肩を抑え、喉からこみ上げてくるものを抑え、
平静でいることができていたのである。


oreshika_0034.jpeg



もっとも、香苗は、必ずしも平静でいられたわけではなかった。



1019年夏の、ある昼下がり

「当主様! 当主様!」

当家の屋敷中に響かんばかりの声であった。
イツ花のその声が近づいてきた香苗は、またか、と眉間にしわを寄せた。

「どうしたのです。イツ花。そんなに慌てて」

「それが、当主様……」

申し訳なさそうな声で、イツ花は息を切らせながらに言った。

「小夜子さまが、その、いつの間にかいなくなってまして……」

ふう……。と、香苗は頭を指先でおさえながら息を吐いた。

「顔に落書きされていますよ。その様子だと、あなた、勉強を教えてる途中で居眠りしましたね」

「あはは……。それは……」

「バーンとォ。任せたはずですけど?」

イツ花は何も言い返せなくなったが、今は彼女を責めていても始まらない、と香苗は気を取り直した。

「あの子を探して、私の部屋に連れてきなさい」
初代当主の娘にして、
現当主である香苗の実妹、小夜子は、
美しい娘であった。

oreshika_0026.jpeg


それも、ただ美人であるというだけではない。
常日頃から眉間にしわを寄せているとはいえ
麗しさと精悍さが絶妙に混ざり合う顔立ちと、凛然とした力強い眼をした彼女は、
その高飛車な性格と相まって、高潔さと気品があった。

優しすぎる見た目をした姉の香苗とは全く逆であり、
ある意味では、姉よりも威厳と品格のある娘であった。


もっとも、小夜子に高潔さや気品などは、かけらもありはしなかった。

以前、小夜子が当家の屋敷を抜け出し、街へ出かけた時の事である。

妖怪たちの襲撃を受け、壊滅した京の街は、
復興途中であるということもあって、まだまだ治安が良くはない。
そんな中を、誰もが振り返るほどの美貌を持った娘が、たった一人で歩いていれば、
街中を闊歩するごろつきの目に留まらないわけがなかった。

初めにちょっかいをかけたのは、ごろつきたちの方であったという。
品のない言葉を並び立て、下衆な笑みで小夜子に近づいたのである。

だが、先に手を出したのは小夜子の方であったし、
最後まで相手に手を出させなかったのも小夜子であった。

小夜子は、見物人の多い往来で、殺しはしないまでも、
ごろつきたちを素手だけで血祭りに上げたのである。

自らの血を一切流すことなく、返り血で衣服を染め上げ、
逃げることも、泣き叫ぶことも、助けを乞うこともできなくなったごろつきたちを、
完膚なきまで叩きのめすその姿と、凄惨な光景に、誰もが震え上がったのだという。


無論、現当主・香苗がこれを許すわけがなかった。
規律と秩序を何よりも重んじる香苗は、
倫理観と道徳観を徹底的に小夜子に叩き込もうとした。

これが、小夜子の反感を買うこととなった。
以来、二人の仲は、決して良好とはいえない状態が続いていた。



小夜子が香苗の部屋にようやく顔を出したのは、
一刻ばかりもの時が過ぎた後であった。

当主の間にやってくると、けだるそうに唐紙を閉め、
小夜子はのらりくらりと香苗の前までやって来た。

二人の距離は、まだずいぶんと離れているのだが、小夜子は、
腰に片手を当て、利き手で乱暴に髪をかきあげて見せた。
長く、まっすぐな髪が、さらと美しく流れた。
と、小夜子は、
来てあげたわよ。これでいいんでしょ?
と言わんばかりの態度で、香苗の顔も見ずに、突っ立ったままでいた。

「小夜子。近くに来なさい」

言われて、小夜子はもう一尺ばかり距離を縮めたが、
香苗に再び呼ばれ、そうしてやっと香苗の眼前に座った。

実に、
実に不機嫌そうなため息が、一つ、こぼれた。

香苗のではない。
小夜子のため息である。

ため息をつきたいのはこっちだ、と香苗は口に出しそうになったが、
毅然とした態度で小夜子を見据えた。

「……また街に、出ていたそうですね」

「……」

「何をしに行っていたの?」

「……」

小夜子は、あぐらをかき、膝に肘を当て、手の上に顎を乗せたまま、何も言わなかった。

「……また街で暴れたのではないでしょうね?」

「だったら、なに……?」

ようやく開いた小夜子の口からでた言葉は、憎たらしいことこの上なかった。

「あなたは、自分の行いが、どれだけ当家の名誉に影響を与えているか、分かっていないようですね」
「先代であるあなたのお父様や、朱点童子をあと一歩のところまで追いつめた源太様、お輪様が」
「これまで築き上げてきたものは、あなたの軽率な行動で傷をつけてよいものではないのですよ」

「へいへい……」

聞いているのか、聞いていないのか、
小夜子は生返事をした。

「小夜子……。あなたはどうしてそう……」

思わず、香苗はため息をこぼした。

「私も、あなたぐらいだったころは、家のことなんて考えられなかった……」

そして、ぽつり、と愚痴をこぼすかのように、
しかし、極めて冷静な口調で言った。

「私は当主様の後を追うことで精一杯で、だけど、いくらついて行っても当主様のお力になれず……」
「ずいぶんと心苦しい思いもしましたし、傷心もしました……」
「だけど、それでも、私は当家に迷惑だけはかけるまいと、精一杯戦ったものです」
「今も、私は戦い続けている途中ですが、その甲斐あって、今ではこうして家を守っていられています」
「先代当主様の残したこの御家を、私の代で潰えさせたくないのです」

「……」

「……」

小夜子を見つめる香苗と、
香苗の視線から顔をそむけ続ける小夜子。

「一つ……」

ややあって、小夜子は言った。

「アンタは何かと、あたしにアンタみたくなるようにしようとしてるけど」
「アンタがどれだけリッパな人だろうと、どれだけ苦労してきた人だろうと、そんなこと、あたしには関係ないね」
「あたしはアタシじゃあないもの。アンタみたいになれなんて言われても、土台、無理な話よ」

小夜子は肩をすくめながらに言った。

「なろうとも思わないけどね」

「……」

「二つ。あたしはアンタのやり方が気に食わない。分かるでしょ?」
「アンタはどうにもあたしを束縛したいようだけど、あたしはあたしの好きにさせてもらうわ」
「アンタにとっては、アンタの人生でも、あたしにとってはあたしの人生よ」
「どーせ、二年も生きられない命なんだし?」

「……」

「大体、アンタはあたしの母親でもなんでもないでしょ?」
「まあ、確かにあたしの姉なんだろうけど、それ以上でも以下でもないわけだし」

言いながら、小夜子はわしわしと頭をかいた。

「あたしの生き方に口出ししないで欲しいね」

「……小夜子、やめなさい」

「三つ。アンタ、何かっていうと『父上様』の話を出すけど」
「顔も見たことない父親の事なんて言われてもねえ」

「小夜子」

「悪いけど、あたしはアンタの大好きな『父上様』の事なんて、何とも思ってないの」

「小夜子!」

それは、これまで小夜子が聞いたことのない絶叫であった。
厳しくも、あの穏やかな姉が、これほどまでに取り乱した姿を、
小夜子は見たことがなかった。

さすがに、小夜子も言い過ぎたと、反省した。

と、すぐさまに小夜子は、反省してしまった自分を、
負けてしまったのだと考え、酷く苛立ち、自分自身を許せなくなった。

小夜子は舌打ちをすると、どかどかと歩き、唐紙を乱暴に開け放って、当主の間から出て行った。


しん……、と、辺りは静まり返った。
その静けさは、先ほどまでの張りつめたものとは比べ物にならないほどに冷たくあった。

一人残された香苗は、高ぶった感情を鎮めようとこめかみに指先を当て、
ぐっと湧き上がるあらゆる心を抑えた。
のみならず、普段、感情をあまり表に出さない反動か、頭痛さえしており、
痛みに耐えるために、香苗の体からは緊張が取れないままでいた。

「……あのう。……当主様」

いつの間に部屋に入ってきたのか、少し離れたところで、イツ花の声が聞こえた。

「……なんですか?」

香苗は応えながらも、平常心を取り戻すことと、
頭痛に耐えることに必死で、イツ花の方を見る余裕がなかった。

「その……。差し出がましいことを言うようですけれど……」

「だから、なんですか?」

「あまり小夜子さまを叱らないであげてください……」

「……?」

イツ花がそのようなことを言うのは、珍しい。
ふっ、と香苗は顔を上げた。

「前に、小夜子さまが街で大暴れしたことがありましたよね?」
「そのことで、どうにも誤解があったようで」

「……誤解?」

「ええ……。小夜子さまを街で見つけた後、ついでに買い物も済ませようとしたんですけど」
「たまたまその時のことを良く知る町人さんに会いまして」

「それで?」

「あの日、小夜子さまは街のごろつきに喧嘩を売られても、決して手を出そうとはしなかったそうです」
「当家のこと、源太様やお輪様のこと、先代当主様のことを侮辱されても」
「ご自身のことで品のない言葉を並べられても、何もしなかったそうなんです」

「……はあ。そうなの?」

「ですが、ごろつきたちが、当主様のことを侮辱したとたん、……二度と悪さできないようにしたらしいのです」

実際は、悪さどころかまともな生活ができないようにさえしていたのだが、
ともかくとして、それならなぜもっと早くにそうだと言わなかったのか。
いや、言ったとしても、聞く耳を持たなかったことであろう、と香苗は
痛む頭を抑えながら、深くため息をついた。

「当主様……。大丈夫ですか?」

「ええ。ちょっと頭痛がするだけ」

「では、お薬を――」

立ち上がろうとするイツ花を、香苗は片手で制した。

「それには及びません。それより、なぜあの子はあんな憎まれ口を叩くのでしょうか」

「それは……」

言えることとそうでないこともあるのだろう。
イツ花は言い淀んだが、すがるよな香苗の眼色を前にすると、
友人として、よき理解者としての口を開かざるを得なくなった。

「……小夜子さまは、当主様にではなく、……『香苗さま』の気を引きたいのでしょう」

「どういうこと?」

「小夜子さまは、言ってしまえばまだまだお子様です」
「本当は香苗さまと、普通の家族のように接したいのです」

「それは嘘だよ」

「さて、それはどうでしょうか」
「少なくとも、香苗さまは家族のように接する余地を与えていないでしょう?」
「香苗さまは、あくまで当家当主として小夜子さまに接しておいでです。先代の影を追いながら」

「……それは」

「だから、小夜子さまは『香苗さま』の気を引くために、香苗さまを怒らせるようなことばかりされるのです」
「怒らせて、素の香苗さまをオモテに出そうとしているのですよ」

返す言葉もなかった。
確かに、香苗は当主足らんと勤め続け、小夜子の前でもそう振る舞っている。
そして同時に、小夜子を叱るときは感情的になってしまうことが多い。
先の口論など、まさにその良い例である。

「小夜子さまが元服なされた日、香苗さまは貯金を崩してよい装備を一式そろえられましたよね」

「その翌日に街で暴れたのだけれどね」

「でも、イツ花は知ってます」
「香苗さまは、当主として小夜子さまに接するか、それとも母親として接するか」
「本当は、迷っておいでなのでしょう?」

「……」

香苗は答えなかった。
姉でありながら、妹を実の娘のように思っているということを認めれば、
これまで彼女が守り続けてきた、当主としての仮面を失うこととなる。
当主でありながら、先代の後ろ姿に背を向けるようなことをすれば、
それは自分自身をも否定しかねない事であった。

「……この話を聞くには、少し遅すぎたかもしれない」

「遅いなんてことはないですよ」
「だって、お二人は血の繋がったご家族じゃあないですか」
「小夜子さまだって、香苗さまに褒められたら」
「まあ……、憎まれ口は叩くかもしれないですけど、きっと嬉しいはずでしょうし」
「お二人なら必ず仲睦まじくなれる、とイツ花は信じてますから」

えへんと胸を張り、イツ花は言った。

「……」

「……当主様? 顔色が優れないようですけど、本当に大丈夫ですか?」

「……イツ花。……『交神の儀』の、用意を」

「……え?」

香苗が唐突に話を変えたからであろう。
尋ねられたイツ花は、酷く狼狽したようであった。

「ほら、ぼさっとしてないで」

しかし、香苗に急き立てられると、はっと我に返ったように、
イツ花は慌てて部屋から出て行った。


「……イツ花。……父上の。……先代当主様が最後に残された言葉、覚えていますか?」

小夜子も、イツ花もいない当主の間で、一人、香苗は仰向けに寝転がった。
そして、額の汗を手の平で拭うと、ふう、と一息ついて、両手を腹の上に置いた。

「……父上は、あの日、……『覚悟はできている』と」
「そうおっしゃった」

「今なら分かる。あれは嘘だ」

言って、香苗は虚空を見上げた。
もはや、顔も、声も思い出すことのできない父の後姿を、そこに見据えながら。

「私たちの命は、短い」
「なにかを成し遂げるには、短すぎる」
「なにかを残すには、短すぎる」
「そして、一度、壊してしまったものを直すには、あまりにも短い」

「私は、父の背を必死で追っていた」
「今日まで、必死に追い続けてきた」
「だけど、今も結局、背を追うだけで、あの隣に立つことは叶わなかった」

「私は、この家のために、何ができただろうか」
「私は、あの子のために、何をしてあげられただろうか」

「私にできることは、もう、あまり残されてはいないな……」



翌月

小夜子は知っていた。
妖怪討伐に出かける頃になると、香苗は必ずその前夜、
頼んでもいないというのに、小夜子の武器や防具を丁寧に磨いていることを、小夜子は知っていた。

ところが、今月に入ってからは、まだ一度も小夜子の装備は磨かれていなかった。

今月は休養でもするのだろうか。
それとも、先月の口論を、当主はいまだに引きずっているのだろうか。

悪いことをしたな、と脳裏によぎった思いに気づかぬふりをしつつ、小夜子はイツ花を探した。
と、廊下の反対側から、慌ただしくしているイツ花の姿が見えた。

「あ、小夜子さま! ちょうどよかったです。今、呼びに行くところだったんですよ」

「何かあったの?」

「何を言っているのですか。今日は当主様が交神の儀を行う日ではありませんか」

「そう言えばそんなことを言っていたねえ」

「楽しみですね! 男の子と女の子、どっちになるんでしょうか、気になりますね!」

「ま。あたしには関係ないけどね」

「何をおっしゃいますか。ご家族の事でしょう?」

「だって、生まれる子が男の子でも女の子でも、この家の実権はその子が握ることになるんだろ?」
「なら別にどうだっていいよ」

「もう! そういうことは言わない!」

「へいへい」

……甥か姪ができるのか。
ふうん、そうか。
そうなのか。


交神の儀は、滞りなく、無事に終えることができた。

それからほどなくして、当主・香苗は床に伏した。



1019年8月

香苗の寝間に呼び出され、小夜子は息を飲んだ。
しばらく当主の顔を見ることができなかった小夜子は、
やつれ、当主としての威厳すら感じられないほどに衰弱したその姿を見て、愕然としたのである。

「小夜子さま……。当主様のおそばに……」

「え? あ、ああ」

開けられた唐紙の傍で、イツ花が座していることに、ようやく気付いた。
そして、言われて小夜子は、一歩、二歩、仰向けになっている当主の傍に寄った。

イツ花は唐紙を閉めると、そのまま、小夜子と当主からやや距離を開けたまま近づいてこなかった。
何かを配慮しているのだろう、と察した小夜子は、余計に自体が深刻であることを思い知らされた。

「……さよこ」

何かを掴もうとするように、
すっ……、と当主の手が伸びた。

細い腕である。細い指である。
この人の手は、こんなもんだっただろうか。
小夜子は当主のすぐそばまで寄ると、その手を取った。

冷たい手だ。
何か、熱く、飲み込みづらいものが、
小夜子の喉の奥に生まれた。

と、同時に二人の手の間に、小さく固いものがあることに気が付いた。

それがなんなのかを確認しようと、小夜子は手を離そうとしたのだが、
残り少ない力を振り絞っているのであろう、
ぐっ……、と当主の手に力がこもり、小夜子はびくりと動きを止めた。

「……ど」
「どうしたのよ。そんな格好して」

唐突に、小夜子の口をついて、言葉が出た。

「アンタらしくもないザマじゃない」

「……小夜子さま」

「いつも眉間にしわ寄せてるくせに、今日はやけにしおらしいんだね」
「今になって、ようやくあたしが必要だって分かったのかい?」

声を震わせながら、小夜子は空いた手で頭をわしわしとかいた。

「馬鹿だねえ。いつもあたしのことを邪魔者扱いするからこうなるんだよ」

「小夜子さま!」

イツ花の絶叫が、小夜子の背に叩きつけられた。
おそらく、イツ花の表情は険しいものになっていることだろう。

「……当主様の、話を、聞いてください」

一変して、力ないかすれ声が、小夜子の耳に届いた。
小夜子は当主の手を取ったまま、思わずうつむき、ため息をついた。
覚悟が、できなかった。

「……香苗」

ややあって、当主の口から、消え入りそうな声がこぼれた。

常日頃、眉間にしわを寄せていた小夜子は、
なんとも情けない表情をしたまま顔を上げた。

「当家の……、実権は、あなたに譲ります……」

「……は?」

「あなたが……、三代目として……。この家を、守って……」

「そんな、急に言われても……」
「だ、大体、なんであたしなのさ……」
「来月にはアンタの子が来るんでしょ?」
「なら、その子が三代目当主をやればいいじゃない」
「普通、こういうのは自分の子供に継いでもらうものなんだから」

「あなたを……」
「あなたのことを……」
「実の、娘だと思わなかった日は、なかった……」

「え……」

「家を……、あなたの妹を、頼みます……」

「そ……」
「そんな、自分勝手な……」
「あたしには、無理だよ……」
「どうすればいいかなんて分からない」
「あたしは当主なんて向いてないよ」
「だって、あたしはアンタみたいに、迷いなく考えられないもの」
「何をするにしたって、深く考えず、突っ走って、失敗して、後悔して……」
「あたしには……」

小夜子はうつむき、それ以上、何も言わなかった。
沈黙が、決して燭台のせいだけではなく暗い室内を彩った。

「真っすぐに……」

香苗の声が聞こえた。

「いつも真っすぐに 歩いていく」
「決して後ろを 振り返らない」

顔を上げると、香苗は優しい表情で、しかし勇ましい眼で、天を仰いでいた。

「そうすれば たとえ迷子になっても」
「迷子になった 気はしないものよ 」

ふっ、と小さく、香苗が微笑みかけてきた。
香苗は何を見ているのだろうか。
それは分からないが、小夜子は、
香苗が自分に言葉をかけていることを、確かに感じていた。

と、香苗の腕から力が抜け、はたりと床に落ちた。

「……」

小夜子の手に、香苗の手はもうない。
そこには、小さな指輪が、一つ、あるばかりであった。
当家当主であることを示す『当主ノ指輪』である。
香苗は、それを小夜子に託したのであった。

そっと、静かに、イツ花が眼前の亡骸の前にやって来た。
そして、薄く開いたままのまぶたを閉じてやると、白い布を亡骸の顔にかぶせた。

「何やってる。やめろ」

すぐに、小夜子は白い布を乱暴に払いのけた。

「あ、ちょっと……! 何をしてるんですか!」

「何をしてる? アンタが何をしてんだよ!」
「余計なことしてんじゃない!」
「あたしはまだ、この人に聞かなきゃいけないことがあるんだ」
「言わなきゃいけないことがあるんだ!」
「謝らなきゃ……、いけないことがあったんだよ……!」

「当主様……」

イツ花が、優しい声色で、そっと肩に手を触れてきた。

「当主様。お気を確かに」

「やめろ!」

それを、小夜子は払いのけた。

「やめろ。そんな呼び方をするんじゃない」
「そんな呼び方で慰めるんじゃない!」
「何が当主だ。こんなもの……!」

と、小夜子は指輪を握った手を、振り上げた!

「当主様!」

イツ花の怒号を浴びた小夜子は、びたり、と固まった。

「香苗さまは! あなた様に託したのですよ!」
「当主としてではなく……! 香苗さまとして……! あなた様に、託したのです……!」

イツ花は、涙さえ流していた。
怒りと、悲しみとが、ない交ぜになった眼で睨むイツ花の傍には、穏やかな表情の亡骸があった。

小夜子は、こぶしを振り上げたまま、思考さえ止まってしまった。

「……くっ!」

小夜子は指輪を捨てなかったが、
逃げるように部屋を飛び出した。



香苗の寝間から、小夜子は逃げ出した。
しかし、どこに逃げようというのだろうか。
彼女に逃げる場所などない。
それは屋敷の中であっても、外であっても、同じことである。

そのことに気づく間もなく、
小夜子は息を切らしながら近くの部屋に入った。

おそらく、イツ花が追いかけてきていることだろう。
閉じた唐紙に寄りかかりながら、小夜子は息を整えようとした。

と、小夜子は目の前に広がる部屋の様子を一瞥した。
彼女が飛び込んだ部屋は、当主の間であった。

あまり大きくもない広間の奥には、ぽつりと虚しく、当主の席がある。
そして、広間には立派な床の間があり、そこには当家の家紋と、当主の武具が飾られている。
当主の席に座るものは、それを背負う形になるのである。

ぽとり、と小夜子の手から指輪が零れ落ちた。
小夜子はそのことを気にも留めず、ふらふらと当主の席の前に立った。

あの人は、いつもここで……。

小夜子は、小さな文机を、指先でなぞった。
と、その視線の先で、妙なものを見つけた。
座布団の下に、何かがある。

どうやら、手紙のようであった。
当主が書き置いたのであろう文を、
何の気なしに、小夜子は当主の座に座ると、手紙を開いた。

手紙を読み進め、
小夜子は後悔した。

当主として小夜子に何も残してやれなかったこと。
母親として小夜子に何もしてやれなかったこと。
いかに母親として、小夜子のことを思っていたか。
いかに姉として、小夜子と接するか思い悩んでいたか。

それは、香苗から小夜子に宛てた、謝罪の手紙であった。
そこには、香苗の本心が全て綴られてあった。

読めば読むほど、
小夜子の心は締め付けられていき、
とうとう息苦しさのあまり、小夜子は手紙を胸の中かかえこんでしまった。


ほどなくして、当主の間の唐紙が開かれた。
イツ花は、当主の姿を確認すると、足元に転がっている指輪を静かに拾い上げた。
当主の座につき、当家の家紋を仰ぎ見ていた小夜子は、振り返ることなく、ただ察知した。

それから、イツ花は小夜子のすぐ後ろまで来た。

「……イツ花、それ」

ややあって、ことり、と指輪が文机の上に置かれる音が、背中越しに聞こえた。

「……イツ花」

「はい……」

「あの人は、……いい当主であったか?」

「ええ、それはもう。初代当主様のように、勤勉で、大変よく働かれていましたし――」

「――イツ花」

「は、はい……」

「私は、あの人のように、よき当主になれると思うか?」

「……それは」

「言え、イツ花」

「今、当主様がお考えになられていることを、されればよろしいかと」
「迷われる前に、行動なさるのが、最良かと存じます」

「ふうん……」

くるり、と小夜子はイツ花の方に体を向けた。
と、戸惑っているであろうと踏んでいたイツ花は、きりと真っ直ぐな眼で小夜子のことを見ていた。
イツ花を見た後、小夜子は目だけを動かして広間を隅々まで見渡した。

「ずっと、この部屋が嫌いだった」

眉間にしわを寄せ、小夜子は毒づいた。

「静かだし、なんか空気は重いし、陰気だし」
「見た目よりもなんだか無駄に広く感じるし」
「そんで、ここに来るときは、決まってあの人に叱られる時だったもの」

「……」

「だから、この部屋を活気にあふれる部屋にしようと思う」
「家族でいっぱいにして、狭くしてやって」
「そんで、毎日わらい声が聞こえるような部屋にしてやろうと思う」

「当主様……」

それから小夜子は、文机の上に置かれた指輪を手に取ると、しばらくそれを指先で転がした。

「手伝ってくれるかい? イツ花」

「ええ! それはもう、バーンとォ! 頼ってください!」


そして、指輪をはめた小夜子は、美しく、そして凛々しい笑顔を見せた。

麗しさと精悍さが絶妙に混ざり合う顔立ちと、凛然とした力強い眼をした彼女には、
その高飛車な性格と相まって、高潔さと気品があった。







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