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今は遠き夏の日々 ~都市伝説編 その二~

 魔の横断歩道の噂

 六月二十四日、火曜日
 びょう……。
 と、風が、駆け抜けた。
 空から窓へ、教室から廊下へ、進めば進むほど力を失い、やがて風は消えたのだが、そのことを気に留めるものは誰もいない。市立成上高校の朝は、いつものように生徒たちの声で騒々しく、風はおろか、周囲の話すら互いの耳に入ってはいなかった。
「あ……。牧原美奈子だ」
 そうした中で、教室の窓際で群れを成している女子の一人が、関心のあるようでないような声を漏らした。
「えっ? どこ?」
 その声に、真っ先に反応したのが、朝村香苗であった。すぐに窓から校庭を覗いてみると、確かに、人目を引く長い髪をなびかせながら、悠々と彼女は校舎に向かっていた。
「あの人って、ほんっと美人だよねー」
 言いながら、中野時子(なかのときこ)は髪をかきあげ、宙に艶のある黒い川を描いて見せた。この教室の女子軍団の、ある種、リーダー的な存在の、凛々しい少女である。
 その彼女がこの頃、髪を伸ばし始めたのは、牧原美奈子にどこかで憧れを抱いていたからに他ならない。もっとも、そのことに気がついている人間は、彼女の友人や、彼女を慕う人間の中には一人もいはしなかった。いや、それどころか
「ナカノさん。あんまりアノ人のこと、話さない方がいいと思うよ」
 時子を慕う女子たちは、むしろ、牧原美奈子の名前が出たことを気にしていた。
「どうして?」
「だって、……ねえ?」
 言って、女子たちが互いに顔を見合わせた。その様子を不思議に思ったのは、何も時子だけではない。朝村香苗もまた、彼女たちの反応が気になった。
「もしかして、みんな中学、い……、牧原さんと一緒だった?」
 香苗の質問に、誰も答えなかった。答えないところを見ると、やはりそうなのだろう。
「……中学の、……二年の時にね?」
 と、ようやく一人が、人目を気にしながら、声をひそめて言った。
「アノ人と同じクラスだった子が、死んだのよ……」
「ふうん。それだけ? それって事故とか?」
 時子が訊くと同時に、もうやめた方がいいと、周りの女子たちが心配そうに見守った。
「……すごく、普通じゃない死に方」
「普通、じゃない……?」
「友達から聞いたんだけど――」
 彼女が言い切る前に予鈴が鳴り、会話が中断された。
 すると、まるで蜘蛛の子を散らすように、集まっていた女子たちがそれぞれの席に着きに行ったのだが、そうして視界が開けたとき、香苗の背筋が凍った。周りの、ほとんど生徒たちが、自分と時子に視線を向けていたのである。そして、そのことに気がついているのは、香苗一人であった。

 その日の昼になると、弁当箱を持ったまま、まっすぐ廊下へと向かおうとした。
「あれ? カナ、今日もこっちで食べないの?」
 その香苗の背中に、時子が声をかけた。
「うん、ちょっとね」
 そう言うと、香苗は教室を出た。向かった先は、柳瀬夕美と一条小夜子のいる教室である。二人のいるクラスを覗いてみると、今日も夕美は机に伏して眠っていた。
「やーなせさん」
 と、香苗は夕美を起こした。
「……あん? ああ、朝村か。お前、今日もこっち来てんのな」
「ふっふっふっ。実は、今日は面白そうな話を持ってきたんですよ」
 不敵に笑いながら、香苗は夕美の正面にある、別の生徒の椅子をひいた。
「面白い話ねえ……。また、お札がどうとか、そう言うのじゃなきゃいいけど」
「大丈夫ですって。場所も、結構近くだし」
 伸びをする夕美に、香苗はそう言うと、弁当箱を開けもせず、夕美の机の上で手帳と成上市の地図を広げた。それを、夕美は迷惑そうに眺めていた。
「最近、事故が多発する横断歩道があるのって、知ってます?」
「いや。知らないね。どこにあんの、それ?」
「ここから歩いていける距離です。三丁目の、ほら、お寺の近くの」
 香苗は、地図に印をつけた。成上校から東に少しそれた場所である。
「へえ。本当に近くだな」
「そうです。それでですね。今日、実際にこの場所に行って調査しようかと」
「ふうん。……まあ、ほどうほどうにしときなよ」
「……うわあ」
 そうして二人で話をしていると、小夜子がやってきた。
「あら、かなちゃん。やっほー」
「どうも、一条さん。――一条さんは、知ってます? 魔の横断歩道」
「知んないよ」
 小夜子は弁当箱を持って夕美の隣に座った。そして、それに合わせて夕美も鞄からコンビニで買ってきたサンドイッチを取り出した。
「三丁目のお寺近くの横断歩道を渡ろうとすると、事故にあうんだとよ」
「へえ……。見通しの悪いとこなの?」
「それが、そうでもないらしいんです。まあ、その辺りは今日、実際に行ったときに確かめればいいんですけどね? ただ、事故が起きる要因が道路にはないのに、今までに四人も同じ横断歩道上で亡くなってるっていうのは、妙だとは思いませんか?」
 ふうむ、とサンドイッチを頬張りながら、夕美が確かにと短く言った。
「しかし、あれだな。そう言う類の実地検証って、警察とか、まともなとこがやることだろ? あたしら素人がいくら道路眺めたって、その原因なんて分かるわけないだろ」
「それですよ」
 くっ、と口の右端を吊り上げながら、香苗は言った。
「実はこの話、妙な噂がたってるんです」
「ほう、妙な噂ねえ……」
「あの辺りを通学路にしてる人、みんなが口を揃えて言うんです。件の横断歩道にさしかかると、自分のいる方とは反対側の道に、気味悪い男の人がいることがあるんですって」
「それって、ただの変質者なんじゃないの?」
「仮にそうだとしてもですよ? よりにもよって、その横断歩道に現れるっていうのは、やっぱり何かありそうじゃないですか? 例えば……」
「例えば……?」
「幽霊、とか……」
 小夜子の言葉に、香苗は雰囲気を出しつつ、そっと答えた。
「そう言うわけで、この噂の真相、確かめに行きましょうよ」
「面白そうだけど、ごめんね?」
 顔の前で指を合わせながら、小夜子が言った。申し訳なさそうにしているその姿を見た香苗は、まさか断られるとは思っていなかったこともあり、つい、間抜けな声を出してしまった。
「わたし今日、ちょっと用事があるから、早く帰らないといけないのよ」
「ああ、そうなんですか? じゃあ、しょうがない。二人で行きますか」
「ちょっと待て。なんであたしまで頭数に入れてんだ。まだ行くって言ってないだろ」
「え? 柳瀬さんが来てくれないと、幽霊が出るのかどうか分からないじゃないですか」
「そうだよ。行ってあげなよ、夕美ちゃん」
「お前、自分は安全圏にいるからって……。この裏切り者」

 柳瀬夕美は、実に不機嫌であった。
 というのも、夕美は帰り道とは逆の方向にある目的地へと向かわなければならないことが、気に食わなかった。面倒である、ということもある。この暑い中を無駄に歩かなければならない、ということもある。だが、何よりも気に食わなかったのは、一条小夜子が一緒に来ていないということであった。
 そもそも、朝村香苗と噂の検証をすることになったのは、小夜子が持ち出した約束のせいである。いくら自分だけが霊視をすることができるとはいえ、夕美はその話に巻き込まれたようなものであり、だからこそ、夕美は友人ではなく他人のために時間を割かなければならないことが嫌だったのであった。
「それじゃあ、さっそく行きましょう!」
 夕美の隣で、靴を履き替えた香苗がわめいた。わめいた、と感じたのは、機嫌がよくないからに他ならないが、ふてくされるのも子供っぽくて気分が悪いと考えた夕美は、一度だけため息をつくと、覚悟を決めた。
「さっさと行ってさっさと帰るぞ。どうせなんにもないんだろうしさ」
 そう言うと、夕美は制服の上に羽織っている、緑のパーカーのフードを深々とかぶった。可能な限り、頭上の強烈な光を浴びないためである。
 
 成上高校を中心に西方面に行くと、それなりに年季の入った住宅地が、東方面には新興住宅地が広がっている。新興住宅地は、歩道がしっかりと整備されているのみならず、街灯や街路樹の数も多く小奇麗で、何より道路の幅が中々に広い。
 駅から近いことや、学校があること、商店街もあり、若い世代の入居者が多い地区なのだが、この辺りをさらに東へ向かってしばらく進むと、寺が見えてくる。
 それが、境界線の目印である。寺よりも先は、隣町に入ることになるのである。
 夕美は、ふと電柱に目を向けた。電柱に取り付けられている街区表示板には、まだ成上町から始まる住所が書かれてある。とはいえ、寺はすでに、眼と鼻の先であった。
「……今更ゆうのもなんだけどさ」
 夕美が言うと、隣を歩く香苗が視線を変えずに、立ち止った。
「横断歩道って、どれだよ」
 住宅地から離れ、辺りの景色が変わり始めているとはいえ、道路整備の行き届いた通りである。交差点と、それ以外の横断歩道がいくつかあった。が、どれが噂の横断歩道なのかは、まるで見当がつかない。
「……ええと。これはあれですかね。一つ一つ写真撮ってみるしかないですかね」
 と、香苗がポラロイドカメラを渡してきた。香苗は香苗で、さっそくデジタルカメラを構え始め、その様子を見た夕美は絶句した。
「ところで、柳瀬さん」
 ポラロイドカメラ独特のシャッター音と、デジカメの電子音が鳴る中で、香苗がファインファー越しに横断歩道を見ながら言った。
「牧原さんって、なんで一条小夜子って名乗ってるんです?」
 唐突に、こいつは何を訊いてるんだか。
 一つ目の横断歩道では、これと言って特に変わったものは写真に撮れず、夕美もまた、何も視はしなかった。
「そうゆうことは、あいつに直接ききなよ。――あたしが勝手に話していいことじゃない」
 何もないのであれば、と二人は仕方なく、次の横断歩道へと向かった。
「でも知ってるんですよね? しかも、込み入った事情があるってことも」
「そりゃ、知ってるけど」
「そう言えば、お二人っていつから友達なんです?」
「友達? ……友達かあ」
「違うんですか?」
 話しながら歩いていると、次の横断歩道に到着した。最初の横断歩道と同じく、町境の寺が見える場所で、しかし、車の通りもあるが、少々静かすぎるような場所であった。
「あたしは友達のつもりじゃないんだけどな……」
「そうなんですか?」
「あれは、なんていうか」
 言いながら、夕美はポラロイドカメラを構え、
「腐れ縁と言うか。あいつが一方的に巻き込んできてるっていうか……」
 目の前の道路をファインダー越しに捉え、シャッターを押した。
 ばっしゃー……。
 そうして出てきた写真を、はたはたと振り、夕美はそこに写っているものを見た。
 瞬間、夕美は凍りついた。
 ポラロイド写真には、夕美が撮影した横断歩道と、夕美たちが立っているのとは反対側にある歩道が映っている。だが、映っているのは道路だけではなかった。
 黒いアスファルトに、縞模様を描くように並ぶ白線。
 その先の歩道で、信号を待っている男がいた。
 妙な姿の男である。あと数日で七月に入ろうというのに、スーツの上にオーバーコートを着込んでいるのである。いや、問題は服装だけではない。
 写真の中の男は、じい……、っと、こちらを見つめているのである。
 尋常ではなかった。その眼光は異様であり、不気味であり、だが何かを訴えかけようとしている眼ではなく、ただただ『見ている』だけの眼なのである。
 夕美は、思わず写真から目を離し、そして、道路の先を、男が視界に入らないようにして見た。ところが男は、横断歩道の先の道、そこにはいなかった。
「何か写りましたあ?」
 ぱっ、と香苗が、写真を夕美の手から奪い取った。
「ああ、やっぱり何も写ってないですね」
 夕美は何も答えなかった。答えられなかった。答えられるわけがなかった。
「しょうがない……。それじゃあ、この道路も反対側まで渡ってみますか。たぶん、何も起きないでしょうけど」
「……な、なに?」
 いま、この女は何と言った?
 思わず、夕美は聞き返してしまった。
「だから、道路渡りましょうよ。……え? もしかして、何か見えるんですか?」
「……いや、何も」
「ですよねー。まあ、噂自体、結構有名な都市伝説がくっついてるわけですし? ここで事故が起こったこと以外は、たぶんデマでしょうね」
 信号が変わった。
 ひよひよ、とスピーカーから鳥の鳴き声が流れ始め、それに合わせて香苗も歩き始めた。
「あっ、おい!」
 出遅れた夕美も、慌てて横断歩道を渡り始めた。
 あの男は、今もこちらを見ているのだろうか。
 ふいに、そんな考えが夕美の頭の中で浮かんだが、夕美はもう、写真を見るどころか、カメラを覗くことも、ましてや横断歩道の先の、あの男のいた位置も見ないようにした。
 かつ……。ごつ……。かつ……。
 音が聞こえた。もちろん、スピーカーから流れる歩行誘導音ではない。夕美と香苗の履いているローファの音でもない。革靴の音である。
 夕美は、さらに視線を下に向けた。
 靴音が、徐々に、徐々に大きくなっているからである。
 と、夕美は視界の端で、革靴と、コートの裾をとらえた。
 それは、夕美の隣を通り過ぎていき、夕美も、それを見なかったことにしようと、そのまま何も言わずに横断歩道を渡りきろうと、顔を上げた。
 横断歩道の先には、男はいなかった。
 すれ違ったのだろう。夕美はそう考えた。だが、

「みえてるくせに」

 低く、囁くような声であった。
 それは、まるで人を呪うかのような旋律であった。
 身の毛もよだつ男の声は、耳元で聞こえたのである。
 ほぼ同時に、夕美が香苗の手を引いて、一歩前に飛び出した。
「ひゃあ!」
 香苗が悲鳴を上げた。当然である。二人のすぐ後ろ、ほんの紙一重のところを、猛烈な勢いで一台の車が通り過ぎたのである。あと一歩、前に出ていなければ、おそらく二人ともはねられていたことだろう。
「あ、あっぶないな! 今の見ました? 完全に信号無視ですよ!」
 夕美は、やはり何も言わずに、香苗の手を引いてそのまま道路を渡りきった。
「まったく。なんて車だ……。どうかしてますよね」
 横断歩道を渡った後も、香苗はぷりぷりと怒っていた。車にはねられそうになったときは、突然の危機に恐怖感を抱いていたのだが、今の状況を冷静にみられるようになると、理不尽な暴力に対して怒りが沸いてきたのであろう。
「この道、見通しはいいし、信号機もちゃんとあるのに、何考えてるんでしょうね」
 そう言われても、夕美はそれどころではなかった。もちろん、車に撥ねられそうになったこともあるし、見たくないものを視てしまったということもある。しかし、彼女が今、何よりも目を奪われているものは、別にあった。
 歩道の隣、信号機の真下に、すっかり枯れてしまった、小さな花が添えられていた。
「……ま、まさか。ここが、例の横断歩道、だった、とか?」
 夕美の視線を追ったのか、香苗が隣でそう言った。
「さあな……」
 言いながら、夕美はしゃがみこみ、そして両手を合わせた。香苗もそれにならい、同じように手を合わせた。
「……さて。どうする、朝村?」
 夕美が立ち上がると、香苗も彼女に続いて立ち上がった。
「ううむ……。とりあえず、住所もメモしたし、帰ってもう少し詳しく調べてみますよ。図書館で縮刷版の新聞も調べないと」
「へえ。結構まじめに調べんのな」
「それはもちろん、新聞部ですから。しっかりと調査します」
 えへん、と香苗は誇らしげに胸を張った
「その割には、どの横断歩道で事故が起きたのか知らなかったけどな」
「……」
 言われた香苗は、おほん、と咳払いをして、得意そうな表情を僅かに赤らめた。
「帰りますか」
「そうだな」
 夕美は鞄を持ち直した。そして、目の前に伸びる道路を眺めた時であった。

 後方から、凄まじい音がした。甲高い、摩擦音のような音で、二人はそれが車のブレーキ音だと気がついた。音の大きさからして、音の発生源はすぐ近くであろう。
 夕美と香苗は互いに顔を見合わせた後、音がした方へとまっすぐに走って行った。
 
 事故現場は、やはり町境の、寺の見える横断歩道であった。もっとも、先ほど二人が撥ねられそうになった場所とは違い、交通量もあり、まばらではあるが人もいた。
 そして、現場は凄惨なものであった。横断歩道から十メートル近く離れた位置に、ふくよかな中年女性が、力なく横たわっており、人を撥ねた車は、しかし、タイヤ痕やガードレールに衝突した痕跡だけを残して姿を消していたのである。
 と、その光景を見て、夕美は『異常』だと感じた。
 周りの人間が、誰一人として女性を助けようとしていないのである。
 このまま女性を道路上に放っていれば、何も知らない車に轢かれることになるだろう。だが、現場周辺にいる大人達、若者たちは何もしないのである。それどころか、携帯を手に持っている若者の大半は、救急車を呼びもせず、写真を撮ってばかりいるのであった。
 人が一人、死にそうになっているというのに、誰も動こうとしていないのである。
 いや、動いているものはある。自動車がそれであった。通りがかった車は、どれも止まることなく、倒れている女性を避けるように、無理やり先へと進むのである。
 その異常性に、夕美は戦慄した。
 だが、自分自身も全く動かないわけにはいかない。
「おい! あんたら何やってんだよ! さっさと助けろよ!」
 絶叫した。その場にいる全員を、夕美は叱咤した。
「朝村! すぐに救急車! その後で警察!」
「は、は、はい!」
 言われて、香苗は慌てながらも携帯で救急車を呼んだ。
 それから夕美は、事故に動揺し、知らぬ顔の人間たちに憤慨し、何をすべきかに困惑しながらも、それでも頭の中の本棚を漁り、どうやって女性を助けるかを考えた。
 確か、こういう場合って、下手に動かすと余計に危なくなるんだっけか。
 でもそれは、頭を打ってる場合で。ああ、くそ。どうすればいい?
 夕美は考えながら、まずは女性の元までかけつけた。
「おい! おばさん! 大丈夫か!」
 女性の体に触れず、夕美は大声で叫んだ。すると、女性は消え入りそうなかすれ声で、小さく、短く呻き、ゆっくりと首を横に振った。
 喋ることができないほどに苦しいのだろうが、少なくとも意識はあり、返事もできる。見た所、出血もしていない。問題は、異様な方向に曲がっている右手と両足であった。
 と、信号が変わったからか、夕美と女性のいる隣の車線を、車が通り始めた。その事実に、熱くなった血が頭へと登って行き、さらに頭で血が沸騰したが、夕美は歯ぎしりをしながら、女性を優先した。
「おばさん、歩道まで移動するよ!」
 言って、夕美は女性の背後から脇に手を回し、体を引こうとした。ところが、その女性は予想していたよりもはるかに重く、夕美一人では、とてもではないが動かせなかった。
 ちらと香苗の方を見ると、まだ電話の途中であった。
 そして、周りを見ると、やはりやじ馬たちは、ただこちらを見ているばかりで、何もしようとはしていなかった。

「みえてるくせに」

 ふいに、あの声が聞こえた。低く、囁くような、まるで人を呪うかのような旋律。身の毛もよだつその声は、目の前の、女性の口から聞こえたのである。
 ぐるり、と女性の首が唐突に、回った。
 夕美は、息を飲んだ。自分が助けようとしている女性の顔が、ポラロイドカメラで撮影した男性と、同じ顔をしていたからである。ただ、男は夕美だけに言っているわけではない。その場にいる、全員に、呪いを吐いていた。
 気がつくと、女性の顔は、いつの間にやら元の顔に戻っていた。
「おい! そこのおっさん! あんた、ちょっと手伝え!」
 夕美はすぐに、近くの人に助けを求めた。今まで、女性が倒れていたにもかかわらず、無視してきた人間たちである。声をかけられた男も、その周りにいる人間も、夕美の声を聞いてもすぐに眼を反らした。
 ぷつ……。
 夕美の中で、堪忍袋の緒が切れる音がした。
「そこのスーツ着た眼鏡の男! お前だつってんだよ! さっさとこっち来い!」
 と、周りにいた人たちが、一斉に彼に視線を注いだ。男性はたまらず夕美と倒れている女性のもとまでかけつけ、ようやく女性を歩道まで移動することができたのであった。
 そうして安心した矢先に、夕美は視線を感じた。いや、その視線は、ずっと感じていた。
 人と、人との間から、写真の男がこちらの様子を窺うように佇んでいるのが見える。しかし、夕美が感じた、冷たく、突き刺さるような視線は、彼からのものではなかった。
 傍観し続ける野次馬たち。彼らの持つ、携帯のカメラレンズからの視線だった。尋常ではなかった。レンズの眼光は異様であり、不気味であり、何かを訴えかけようとしている眼ではなく、ただただ『見ている』だけの眼なのである。
 ほどなくして、救急車と、警察車両が到着した。女性はすぐに病院へと搬送され、夕美と香苗は警察に事情を説明することとなった。もっとも、事故を直接目撃したわけではないため、二人に話せることなどほとんどなかった。

 六月二十五日、水曜日
「やーなーせーさん」
 授業終わりに、香苗は夕美に声をかけた。事故の後で調査して分かったことを、夕美に伝えるためである。そのことを話すと、快く、とまではいかずとも、夕美も真面目に話を聞こうと姿勢を正した。
「最初にあの辺りで亡くなった人なんですけどね? 去年の十一月末に亡くなった、会社帰りのサラリーマン。別に、その人が事故にあったのと、同じ場所で立て続けに事故が起きてるわけじゃないみたいです。あの辺り、ちょっとした坂道になってて、それで勢いがついちゃうらしくて、最近になってようやくスピード制限きつくしたほどらしいです」
「坂道ねえ……。そうは思えなかったけど」
「ただ、気になることが一つあって……」
「気になること?」
「何でも、救急車の到着が間に合っていれば、助かったとか。もちろん、誰を責めるわけでもないですけど……」
 そこまで言って、香苗は口にするのを少々躊躇った。
「……その。問題は、ネット上に出回ってることなんです。最初の一人目が事故にあった直後の、画像とか、動画とかが。……もし、そういうことしてないで、もっと早く救急車を呼んでいれば。その人、助かったのかもって思って」
 ふうん……。と、夕美は短く相槌を打った。おそらく、最初に亡くなった男は、まだあの辺りの横断歩道にいるのだろう、と考えながらも、しかし、だからと言って自分に何かができるわけでもないと、夕美は自分に言い聞かせるために相槌を打っていた。






今回の話は、描き下ろしです
都市伝説編は、ある程度、前後の話とのつながりがあるとはいえ
基本的には一話完結型の物語なので
描き下ろしの話を追加しやすくなっている
それを目的にした作りにしているのもあるのだから
当然と言えば当然だが

さて、今回の噂は
実際にある割と有名な都市伝説『見えてるくせに』をモチーフにした
とりあえず、何か有名な都市伝説からネタを借りようと考えて
色々検索していたところ、夕美のキャラクター性やこの街の特性にピッタシな話があったので
今回はこの噂にしました

ただ、まあ
夕美という霊感少女を使うにあたって、割と制約がかかるところがあるので
『今は遠き夏の日々』とは別の物語に持ってくればよかったかなとちょっと思ったり
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