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今は遠き夏の日々 ~都市伝説編 その六~

 赤い電話ボックスの噂

 七月十五日、火曜日
「カーナエちゃん」
 放課後、帰り支度をすませて教室から出ようとしていた香苗は、クラスメイトに呼び止められた。中野時子たちである。帰りに声をかけられると言うことは、おそらく遊びの誘いだろう、と香苗は彼女たちを見つめた。
「朝村さん、これからまた、あの二人ンとこに行くんでしょ?」
「いや。どうしようかなって、考えてたとこだよ」
 とは言いながらも、香苗はこの後、小夜子と夕美のところに行くつもりであった。
「ふうん。まあ、それはいいや。ところで、電話ボックスの話、って知ってる?」
 と、群れている女子たちの一人が、前に出た。
「電話ボックスの話?」
「なんだ。あの二人にひっついてるから、てっきり知ってるもんだとばかり思ってた。赤い電話ボックスの話だよ。知らないの? あの世と繋がる電話ボックス」
 一人がそう言うと、後ろに立っている女子たちが、くすくすと笑った。
 クラスの女子たちは、香苗に嘘を教えて、彼女のことをからかっていた。香苗の付き合いが悪くなったこともあるが、他にも理由はいくつかあった。誰もが近づくことすら恐れている一条小夜子といること。ひそかに小夜子に惹かれている中野時子が、小夜子と仲良くしている香苗のことが気に入らないということ。そして、柳瀬夕美といること。
 つまり、クラスの女子たちが香苗をからかうのは、リーダー格の中野時子の嫉妬や、単純に攻撃の的にしやすい材料があるためであった。常に誰かを差別し、自分が人よりも優位な位置にいたいのは、人のサガなのかもしれない。ともかく今、香苗と同じクラスの女子たちの間では、香苗を仲間外れにしようとする流れができていた。
 もっとも、彼女たちの行動は空回りしていた。もとより、広く浅い交友関係や人間関係しか気づいてこなかった香苗は、自分がからかわれていることにすら気がついていなかったのである。その上、香苗にとって噂が本当か嘘かなど関係がなかった。
「柳瀬さーん。一条さーん。おもしろい話を聞いちゃいましたよ」
 そして、香苗は今日も、手に入れた噂を小夜子たちに話そうと、二人いる教室へ移動した。教室の中に入ると、いつもの光景がそこにあった。視力が悪いからと、授業をまったく聞かずに寝てばかりいるらしい夕美は、今日も緑のパーカーについているフードをかぶり、机に伏せて眠っていた。そして、小夜子はその隣で夕美を起こしていた。
「その前に、かなちゃん。ちょっとこっちに来て」
 と、小夜子が手招きをする。香苗は、言われるままに、小夜子と夕美のそばに立った。
「はい、タッチ」
 言いながら、小夜子が両の手のひらを掲げた。一体何がしたいのかは分からないが、香苗はとりあえず両手で、ぽん、と軽く叩いた。すると小夜子は、今度は夕美の目の前に、香苗にして見せたのと同じように、両の手のひらを見せた。
「はい、夕美ちゃん。タッチして」
「……はあ? ……はい」
 夕美も、小夜子の行動の意味が分かっていないようであった。

 七月十五日、火曜日
 小夜子は時々、変わった行動をすることがある。それは、なにか、宇宙からの電波でも受信したように、突発的で意味不明なことなのである。そして、今がその時であった。
 唐突に両手を見せられ、タッチして、と言われても、何の事だかわからない。
「……え? で、結局なんだったの? これ」
 タッチした後、香苗が不思議そうにしていることもあって、夕美は小夜子の顔を見た。
「特に意味はないよ。交代しただけ。それよりかなちゃん。面白い話があるんだって?」
「そうなんですよ。調達ほやほやの新情報」
 それよかあたしは交代の意味が気になる。と、考えるも、話は先へと進んだ。
「なんでも、死んだ人と通話できる、赤い電話ボックスがあるらしんです」
「赤い鎧だとか、赤い開かずの門だとか、お前の集める話は『赤い』のばっかだな」
 赤い噂でろくな目にあったためしがないため、夕美は嫌味たっぷりに言ってみせた。
「にしても、赤い電話ボックスって……。普通、電話ボックスって赤だろ? 屋根とか」
「じゃなくてですね。ガラス全面が真っ赤らしいんですよ」
「へえ。そうなると、英国のそれしか思い浮かばねえな」
 とはいえ、彼女の口が悪いのは今に始まったことではないし、単に口が悪いだけで、実のところ、この頃は夕美も三人で遊ぶことを楽しんでさえいた。
「で、ですね、新成上団地って、あるじゃないですか」
「こないだの旧成上団地みたいなとこ? あたしはどうも苦手だな。ああゆう、馬鹿みたいに同じマンション密集させてよ。人が多いからなんだろうけど、まるで蟻塚みたいだ」
 夕美は頭の中でこれから行くことになるであろう場所を思い浮かべた。ところが、想像できるのは行ったことのある場所だけである。それも、東京にいた頃に見たマンション群である。それが、夕美の癪に障った。東京にいた頃のことは、今でも覚えている。奇異の目で見られることよりも、裏切られることが一番嫌いな夕美は、成上に来てからも人を避けるように、人に避けられるようにしていた。その原因となった場所である。
「そりゃまあ、団地ですから。……それでですねえ。その『赤い電話ボックス』って、神出鬼没らしくってですね? 団地のどっかに現れるらしいんですけど」
「それで、電話かけたらどうなるの?」
「それはさっき言ったように、死んだ人の所に繋がるらしいんですよ。本当なら繋がらないはずの電話にかけると、繋がるんだそうですよ」
「ふうん。……夕美ちゃん、どう思う?」
 話を振られた瞬間、ふいに、自分に声をかけてきた小夜子の姿が、中学の頃の姿に見えた。いや、そういった映像が、脳裏によぎったのである。
「いいんじゃねえの? 行ってみても。せっかく朝村が持ってきた話だし」
 普段ならば、夕美の第一声は文句のはずである。ところが、先ほどまで考え事をしていたせいか、夕美はつい、即答してしまった。
「やった! じゃあ、さっそく今から行ってみましょうよ!」
「そうね。二人がそう言うなら、わたしも行くわ」
 そうして、夕美たちは新成上団地へと向かい始めた。

 さすがに制服姿で団地をうろつくのは目立つだろう、と考え、三人は一度、私服に着替えるために帰宅し、それから成上駅前に集まることにした。そうして駅前に戻ってきた夕美は、広場をさっと見渡したのだが、探すまでもなく、小夜子を見つけた。
 小夜子は、もし同じ服を夕美が着た場合、非常に男勝りな姿になる格好をしていた。そもそも、小夜子のセンスは夕美の影響を強く受けているため、どうしてもボーイッシュな服装になってしまう。とはいえ、小夜子はさすがスタイルがいいだけあって、かなり見栄えも良くあった。ただ一つ、そのせいで周囲の注目を浴びることとなってもいる。
 しかし、目立っているのは何も小夜子だけではない。長袖のパーカーと長ズボンの夕美である。しかも、いくら先日よりも涼しくあるとはいえ、フードをすっぽりとかぶっているのである。七月にするような格好ではなく、夕美も非常に目立っていた。
 もっとも、夕美の場合、それは月白色の肌や白に近い金の髪を隠すためではない。もしそうであるならば、髪を染めたりなどしている。夕美が肌を晒さない上、日焼け止めまで塗って長袖の服を着ているのは、それだけ彼女の肌が弱いからに他ならない。制服の上にパーカーを羽織るのも、そのためである。
「朝村は? まだ着いてないの?」
「来ましたよー! お待たせしました!」
 と、すぐ後ろから香苗の声が聞こえ、夕美は振り返った。そこには、ふんわりとかわいらしくコーディネートした少女が、にこにこと立っていた。香苗は夕美や小夜子とは全く違い、その年頃の少女らしい格好をしていた。
「目立たないような格好をしようって言ったのにこれだよ。にしても、一条さんはなに着せてもかっこよくなっちゃうからいいとして……。柳瀬さん、暑くないですか?」
「暑いよ。だからさっさと行こうぜ」
 さすがに、脱水症状に気を付けなければならず、夕美は飲み物を手放せないでいた。
「暑いなら、せめてパーカーを脱いだらどうです?」
「だめよ、かなちゃん。夕美ちゃんはパーカーのほうが本体だから」
「どういう意味だよそれ! だいたい、あたしだって好きでこんな格好してるわけじゃないんだからな? 仕方なく、だ。仕方なく。……まったく」
「そう言えば、柳瀬さんてどうして夏でもそんな格好を?」
 以前から気にはなっていたが、香苗はしっかりとした答えを聞いたことがなかった。
「そりゃ、お前。肌が弱いからだよ。確か、体の色素が紫外線から身を守るらしいんだけど、……ほら、あたしって見たとおり、色素が生まれつきほとんどなくってさ。だから日焼けするとシャレにならないぐらい肌が、なんていうか、文字通り焼けんだよ」
「じゃあ、海とか行けないんじゃないですか。夏休みは三人で海に行く予定だったのに」
 いつの間にそんなことを勝手に決めていたのだ、と夕美は返そうとしたが、
「いいね! 海! 行きたい!」
 と、小夜子が間に割って入った。
「前から海に行きたくてね。わたし、生まれて一度も海って見たことないのよ」
「それほんとですか? もったいない。海いいですよ。嫌なことみんな忘れられる」
「ふふっ。夕美ちゃんもおんなじようなこと言ってたわね」
 そう言えば、中学の頃に言った覚えがある、と夕美は一、二年前のことを思い返した。
「あの時は、確か、あたしが行けないならって言って、結局いかなかったんだよな。今年なら別に行ってもいいんじゃね? 朝村もいるし、二人で行きなよ」
 夕美がそう言うと、小夜子が夕美の顔をちらとうかがった。
「ううむ……。でも、やっぱり夕美ちゃんが行けないなら、いいや」
「なんでだよ。……てか、いつまでもここに居てもしょうがないだろ。早く行こうぜ」
 三人は最寄りのバス停から、団地へと向かって行った。

 駅前からバスに乗って、夕美たちはさっそく目的の団地まで移動した。
 この日は、前日と比べるとそれなりに涼しくあったのだが、とはいえ、さすがに長袖でいられるほどの気温ではなく、夕美は歩くだけ汗を流し続けていた。
「そういや、団地に出るってとこまでしか聞いてないけど、具体的にどのあたりだ?」
 ふと、香苗の話を思い出し、夕美は隣を歩く香苗の方を見た。涼しげな格好をしているのが何とも憎たらしく思えるが、ともかく今は、電話ボックス探しである。
「私が聞いた限りじゃ、全部で三か所ですね。ここからすぐ近くに一か所と、団地の中心あたりに一か所と、端の方にもう一か所。まあ、そんなに大きな団地でもないですし」
「でも、全部まわんのはめんどうだな。誰かその辺の人を引っつかまえないか?」
「それもそうね。――すみませーん!」
 と、すぐに小夜子が近くにいた中年女性に声をかけた。そうして足を止めてくれた女性の足元には、一匹の犬がいた。毛並みの良い、立派な柴犬である。散歩中なのだろう。
「うわあ! かわゆいなあ! 綺麗なシバですね。男の子ですか? 女の子ですか?」
 反射的に女性を止めたせいか、小夜子は今になって犬に気がついたようであった。
「あらあら。ありがとう。うちの子は女の子よ」
「やっぱり飼うならシバイヌよねえ。さわってもいいですか?」
 散歩中の柴犬は、小夜子に撫でられながら、心地よさそうに目を細めた。
「おい、小夜子。今はイヌじゃないだろうよ」
「そうだった。――すみません。この辺りに電話ボックスってないですか?」
 小夜子は立ち上がって、女性に訊いた。その間、足元の柴犬はなぜかふんふんと小夜子の体を嗅いでいた。それほど、小夜子の臭いが気になるのだろうか。確かに小夜子は甘いものばかり食べているが、と夕美は二人の会話をまるで聞くことができないでいた。
「夕美ちゃん、行こっか」
 そのため、小夜子に言われて、そこでやっと我にかえることができた。
「それで、どこにあるって? 赤い電話ボックス」
「あらあら、夕美ちゃん。話聞いてなかったの? しようのない子ね」
 癇に障る言い方だ。ただ、聞いていなかったのは本当であるため、言いかえせない。
「かなちゃんが聞いてたのじゃない、全く別の場所にあるらしいわ。ただ、あのおばさまに聞いた限りじゃ、どうもイタズラで赤色にされただけっぽいのよね」
「まあ、噂の内容がちょっと変わって伝わってくるって、よくあることですし」
「お前の持ってくる話は、大概ただのデマだけどな。まあ、行きゃ分かるけど」
 それからしばらくの間、三人は団地の中を歩いた。周りの景色はほとんど代わり映えせず、背の高い、鉄筋コンクリート造りの無機質なアリ塚が並ぶばかりである。それ以外で見かけるものと言えば、マンションの前で走り回っている小さな子供や、あるいは日陰で世間話をしている女性たちぐらいで、特別、変わったものがあるわけでもなかった。
 と、建物の影になっている歩道を歩いているうちに、言われた場所までやってきた。
 ……なんだ、ここ。
 その場所を目の当たりにした瞬間、夕美はその空間を凝視した。夕美には、どこか、普通ではないように見えたからである。と言うのも、その場所は金網で囲まれた、中々に広い空き地なのだが、敷地内への入り口が一つとして見つからないのである。特別、空き地の周りに歩道がないとか、あるいは土地が周りよりも盛り上がっているというわけでもなく、綺麗な平地だというのに、出入り口のない背の高い金網で囲まれていたのである。
 いや、よく見ると、空き地の四方にはマンションが並んでいるのだが、道路を挟んだ先にあるそのマンション側の歩道からは、空き地の中まで陸橋が続いていた。空き地に入るにはその陸橋を渡らなければならないという、妙なことになっていたのである。しかも、陸橋は一つではなく、四方の敷地から、それぞれ空き地までつながっているのである。
 ふと、夕美は、空き地内まで続く陸橋の下に、電話ボックスがあることに気がついた。屋根が赤いとか、ふちが赤いとか、そう言った状態ではなく、上から下まで、ガラスも含めて真っ赤に塗られている、異様な姿の電話ボックスであった。
「あっ! あれじゃない?」
「本当ですね。うわあ、ちょー真っ赤」
 小夜子が言って、香苗が続いた。無邪気にはしゃぐ彼女たちは、ここの不可解さに気がつかないのだろうか。夕美は少し、その場所のことが心配になってきた。
 そして、夕美たちは陸橋を渡って、空き地の中に入った。
「なんだこれ。ただ普通の電話ボックスにペンキぶっかけただけじゃねえか」
 赤い電話ボックスの前に立つと、遠くから見た時の異常性はさほど感じられなかった。まさに、夕美が言ったように、組み立て式、全面ガラス張りの、どこでも見る形の公衆電話ボックスで、単に全体を赤いペンキで塗りたくっただけなのである。しかも、日に当たりすぎたからか、赤と言うよりかは薄い桃色になっている面まであった。
「ねえ、ここに何か書いてあるわよ。……らぶ、けんちゃん。……なんのこっちゃ?」
 電話ボックスには、ところどころ、小さな落書きがあった。頭の悪い、幼稚な内容からして、単なるイタズラであることは明白である。おそらく、電話ボックスにペンキを塗ったのも、そうしたイタズラなのだろう。
「まあ、あれだな。何も知らない人がこの電話ボックスを見て驚いたんだろ」
 言って、振り返ったその時、夕美は妙な感覚に襲われた。
「……どうしたの?」
「いや、なんだかここ……。前にも来たことがあるような気がする……」
 マンションの立ち並ぶ団地の中に、ぽっかりと穴が空くようにしてある空き地。茶色い地面が広がるばかりで、何もない空間。ここは、夕美にとって初めて来た場所のはずである。もちろん、周囲のマンション群に似たような建物を見たことはある。それは東京でも見たことがあるし、言ってしまえば、先日の旧成上団地に似てなくもない。問題は、そうした外見上の類似点ではなかった。言うなれば、その場の空気そのものに既視感を覚え、それが脳にこびりついて離れようとしないのである。
「いわゆる、デジャヴってやつですかね?」
「たぶん、そうなんだろうけど……。なんでだろう……」
 ふむ、と小夜子が顎に指先を当てて、小さく息を漏らした。
「……ねえ。人間の記憶の、最も深いところに残るのって、何か知ってる?」
「なんだ、その質問……? そりゃやっぱ、目で見た物とか、音とかなんじゃねえの?」
「食べた物の味もけっこう覚えてますよね。触感は、そんなでもないかな?」
「実は、ね? 匂いなんだよ」
「匂い……? 犬じゃあるまいし」
 そう言いながらも、夕美は小夜子が言っていることに、心当たりがあった。
 夕美は幼いころから、みかんが非常に苦手である。みかんの酸味が口に合わず、今でみかんだけは絶対に避けようとしているほどである。ところが、その匂いを嗅ぐと、物心がつくかつかないかと言う、彼女にとって最も古い記憶が不思議とよみがえるのである。
 後で夕美が確認したところによると、夕美が生まれて間もない頃、彼女の母親が良くみかんを食べていたそうなのである。言われるまで気がつかなかったが、確かに視覚や聴覚で感じた物よりも、匂いの方が記憶の底にあった。
「話を戻すけど、どうする? 電話かけてみる?」
 と、小夜子が電話ボックスを指差した。
「そりゃ、もちろん! でないと、なんでわざわざここまで来たのか分かんないですよ」
 言って、香苗が電話ボックスの扉を開けた。見ると、中には緑色の公衆電話と分厚い電話帳が置かれてあった。つまり、内部は周りが赤い以外、実に普通なのであった。
「あー……。繋がらないですね。全然だめです」
「本当? からしてみて」
 と、今度は小夜子が扉を開けたままの電話ボックスの中に入り、受話器を取った。
「ほんとだ。ウンともスンとも言わないどころか、ツーともプーとも言わないわ」
「……ってことは、電話線すら繋がってないってことか」
「ここが空き地だってことも考えると、たぶん、マンションを建てるか、それか公園にでもするつもりだったんでしょうね。……で、なにかあってそれが中止になって、電話ボックスだけが残っちゃったってところかしら? これを赤に塗ったのも、ここに人が来ないのを知ってる、この辺りの誰かが遊びで塗ったからとかかな?」
「そんなところでしょうね。大体、新成上団地だって、予算足りなくて所々に作りかけの建物や空っぽの敷地があるらしいですし。この場所もその一つなんでしょう」
 実際、これと言って幽霊の気配も感じなければ、怪奇現象が起きる様子もない。異様なのは見た目だけで、夕美は完全に肩透かしを食らった気分になっていた。
「そういえば、柳瀬さんは何か感じたりしません?」
 言われて、夕美も試しに電話ボックスの中へと入った。
「べっつにい? なんも感じないけど? これ、ほんとにただの電話ボックスだよ」
 それから受話器を取って耳に当てたのだが、小夜子や香苗と同じ様に、やはり受話器からは音が聞こえてこない。例えば人の声が聞こえたり、あるいは扉が勝手に閉まったり、そういったことすら起きないのである。夕美の考え通り、何も起こらなかったのである。
 ふと、夕美は公衆電話の横に、十円玉が落ちていることに気がついた。
 そういえば、まだ金は入れていないのではないだろうか。
「なあ、この後どうする? カラオケにでも行かね?」
 何かが変わるわけではないだろう、と考えながらも、夕美は拾った十円玉を使った。
 十円玉が、公衆電話の内部で転がり、底に到達した音がした瞬間、夕美の背筋を何かが走った。それは、恐怖心でも、電気なければ、あるいは衝撃でもなかった。
 空気が変わったのだ。夏の昼間とは思えないほどの、異様な肌寒さ。パーカーを着ていても意味がないほどの冷たい空気が、ずしり、と体にのしかかったのである。いや、空気だけではない。蝉や、虫の声が消えた。空気の流れる音も消えた。
 それと、ほぼ同時に、受話器から音が聞こえてきた。声ではない。誰かが受話器の向こう側、繋がらないはずのそこで、電話に出ている気配がするのである。
『……。……。……くふふ。……』
 人の声であった。女の声であった。小さな女の子の、笑い声である。
 それを聞いて、夕美は悲鳴をあげそうになったのだが、声が出なかった。
 ……くふふ。
 今度は、受話器からだけでなく、背後からも同じ声が聞こえた。そして、反射的にさっと振り返ったその時、ありえない光景が夕美の目に飛び込んだ。
 電話ボックスの扉から外を見ると、周りが妙に暗かった。いつの間にか、夜の闇が辺りを覆っていたのである。しかも、そこには小夜子の姿も、香苗の姿もなかった。
 電話ボックス内の強い照明が煌々と照らしている、素鼠色の道。すぐ脇には、車道との間に設けられた、白く、小さな柵。まったく知らない場所の電話ボックスの中に、夕美はいた。いや、夕美はその場所を知っていた。今でも覚えている、東京の……。
 ……くふふ。
 女の子の声が、再び聞こえた。声のした方を見ると、誰かがそこに立っていた。足元しか見ることができないが、小さな子供の小さな素足である。ただし、それ以上は姿が見えない。彼女が、電話ボックスの明かりで照らせるぎりぎりのところに立っているからだ。
 ごくり、と夕美は、固唾を飲み込んだ。そして、離してしまった受話器を震える手で探し、掴むと、耳元で持った。受話器からは、やはり人の気配がしている。
 受話器を持ち直しても、夕美の方から声をかけることはなかった。会話をすることで、向こう側に引きずり込まれないか、心配したからである。
 長い沈黙の後、靴も履いていない女の子が、にたりと笑った気配がした。
『……あのおねえちゃんといっしょにいると、……あぶないよ』
 受話器から声が聞こえてきた。その声は異様に冷たかった。決して冷淡に言っているというわけではない。生気を感じさせない冷たさがそこにあったのである。
『……ワンちゃんがいっぱいいるの。……ユウガタのマチで、アナタはみることになる』
「……」
『……ワンちゃんは、あのおねえちゃんのワンちゃん。おねえちゃんは、あのワンちゃんのおねえちゃん。……アナタはきっと、みたくないものをみることになる』
 おそらく、彼女はこれから起きるであろうことを言っているのだろう、と夕美は直感した。しかし、それにしても内容があまりにも漠然としすぎている。
『……くふふ。……くふふふ。……でも、アナタはきっと』
 ひた……。ひたり……。と、少女が一歩、一歩と近づいてきた。
 ちら、と赤いスカートの裾が、明かりの中に入ってきた。次の一歩で、少女が赤いワンピースを着ているのが分かった。だが、まだ少女の顔が見えない。
 と、少女が最後の一足を前にだし、そうして顔が見えそうになった瞬間、

 がしゃん!

 夕美は、思わず受話器を落としてしまった。受話器は公衆電話機を乗せる金属の台にぶつかり、大きな音を立てると、そのまま振り子のようにぶらぶらと揺れ始めた。
 と、同時に、夕美は目の前に小夜子と香苗の二人がいることに気がついた。
「……あれ? どうかした?」
 受話器がぶつかる音に気がついて、小夜子が振り返った。その声が聞こえると、蝉の声や、道を走る車の音なども耳に入り、続いて夏の熱気にむせそうになった。
「い、いや。……ちょっと手が滑っただけ」
「ええー? そんなこといって、なにか感じたんじゃないんですかあ?」
 受話器を戻していると、香苗が少し意地悪な口調で言ってきた。しかし、夕美は先ほどの出来事を言うわけにはいかなかった。電話の相手が誰であったのか、その見当がついている以上、二人に話せることではないと考えたからである。
「ばか。んなわけないだろ。それよか、カラオケ行かないなら喫茶店で涼もうぜ」
「それならマック行って何か食べようよ。んで、カラオケはその後」
「来る前に食べたじゃないですか! まだ食べるんですか!」
「おっし、それで行こう。ちなみに飯代はアサムラのおごりな」
「なんで!」
「こんなくだらないデマの検証に、このくそ暑い中を歩かせられたんだ。当然だろう?」
「そんなあ! 私のせいじゃないですよう! 噂流した人が悪いんじゃないですか!」
「ははっ。じょーだんだよ」
 香苗が悲鳴を上げた。夕美は、彼女の反応が面白くなり、噴き出してしまった。
 そして、空き地から立ち去る間際、振り返って赤い電話ボックスを見た。
 何のことはない。霊の気配すらしない、ただの電話ボックスである。

 その週の土曜日、夕美は一人で、再び団地へと訪れた。そうして妙な造りになっている空き地にやってきたのだが、そこにはあの赤い電話ボックスはなかった。
 聞くところによると、いつまでも動かない電話ボックスを置く意味がないことと、不良のたまり場になっているために、撤去したのだという。
 夕美は、そのことを残念とは思わなかった。もう一度、霊と対話する恐怖を味わいたくなかったからである。だというのに、それでも彼女は再び、空き地の前までやってきた。フェンス越しに、赤い電話ボックスのあった場所を眺めにきたのである。

 ……くふふ。

 ふと、あの女の子の声が、聞こえた気がした。
 夏の日差しが照りつけるだけの、団地の中の空き地で、である。
 






都市伝説編に入ると
テーマがテーマだけに怪人や怪事件ものがどうしても増える
そうすると、心霊系も書きたくなるというもの

今回は投稿時にすでに収録していた話
ここから先の展開は、投稿時と比べると大幅に変更しているため
電話の内容も多少変えてある

もっと団地の気味悪さとかを描写したいところだけど
あまり書きすぎるとだれるし、このぐらいで
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